2023/03/24

松江城(島根県松江市)中編

 

青空と天守

良いイメージを持つと

良い現実がやってくる。

悪いイメージを持つと

残念な現実がやってくる…

なんて話しは聞きますが、

やはり、僕の経験上、

それはある意味正しいと思います。

松江城のブログ前編で、

僕たちは国宝の5城、

全てに行ったと書きましたが、

その全てのお城で快晴の空を背景に

天守の写真が撮れているのです。

もちろん当日思い立って

即、行く訳ではなく、

旅の計画は、

数ヶ月〜数週間前なので、

天気は常に偶然の産物ですが、

いつも思い浮かべるのは、

青空に映える天守の姿だけ(笑)

もちろん運が良かったのも

あるでしょうが、

やはり悪い予想をしない

テクニック(笑)も大切かもしれません。

松江城天守へ

大手門から二の丸へ進み、

ようやく本丸間近となってきました。

既にここからでも天守の頭は

見えています。

石垣に魅せられながら

石段を登っていくと

櫓(やぐら)があります。

戦であれば、

恐らくここから鉄砲で

撃たれまくるのでしょう(笑)

一ノ門。

一ノ門をくぐって振り返り撮影。

下から見えていたのは、

この南多門櫓でした。

そして、目の前にそびえるのは…

いや〜かっこいい!

この無骨さがめっちゃ魅力です!

快晴に浮かぶ松江城に出逢え、

僕たちは運の良さを

神様に感謝していました。

(僕は信心深くはないのですが…汗)

石垣の古さといい、

戦国時代を彷彿とさせる

外壁の漆黒といい、

ここだけ見ていると、

昔のままみたいです。

月曜日にも関わらず、

さすが国宝の松江城だけあって、

観光客はかなりいて、

人がいない瞬間は少ないのですが、

何とか「無人状態」の撮影に成功(笑)

こちらは正面左手から見た松江城。

三段目の大きな破風が、

素晴らしく立派ですね!

裏手斜めから撮影。

どこからも絵になる!

お城正面の前には、松があります。

日露戦争の時、日本海海戦において、

ロシアのバルチック艦隊を全滅させ

日本の勝利を決定づけた東郷平八郎の

御手植えなのでしょうか。

「大将」とありますから

まだ「元帥」に昇格前の

ことだったのかも知れません。

そして、僕たちは天守に入る前と、

入った跡に石垣などを

散策したのですが、

天守に上った話しは次回にして、

まずは外観の散策から書きます。

搦手側の乾(いぬい)櫓跡。

北ノ門

北ノ門外側から。

石垣や石段もしっかりと

残っています。

天守に続く、多聞櫓跡。

天守下の石垣。

こちらも天守下の石垣。

野面(のづら)積みでここまで綺麗に

仕上げているのは凄い技術です。

敵方がここまで来るのは、

なかなか至難の業でしょう。

何度も野面積みの技術に

感嘆する僕です。

ここなんかまるで玉石垣のように

芸術的な美しささえ感じますね!

江戸城や大阪城のように

超巨大な石垣を整然とならべるのも

圧倒的な権威を感じ、

それはそれなりの凄さはありますが、

小心者の僕なんかは、

このような控えめな石垣がいいかな?(笑)

この先に搦手門があります。

馬洗池。

僕たちが訪問した次の日、

この池の水を全部抜いて、

総ざらいしたことを

テレビのニュースで知りました。

だから水があまり無かったのかな?

搦手門の石垣。

ここがまた素晴らしい!

江戸時代のまま。

櫓や土塀はありませんが(笑)

搦手も枡形虎口になって

敵の侵入にはしっかりと

備えてあります。

ここから見た松江城の裏側。

この真ん中に立つと

四方から鉄砲で撃ちまくられて

即死は間違いありません(汗)

僕が松江城を体験して思ったのは、

江戸時代に入ったとは言え、

松本城が建てられたのが1611年、

大坂の陣の4年前、

まだ豊臣家が存続しているころの事。

そのような事情もあって、

まだまだ戦が起きる可能性を

想定して、過剰なまでの防御態勢を

整えているのではないかという事です。

だからこそ、こんなに立派な天守や

石垣や大きな縄張を楽しめる

現代の僕たちなんでしょう(笑)

やっぱり天守前での

ツーショットは必須(笑)

(後編につづく)

 

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