大内氏遺跡・凌雲寺跡(山口市)

 

大内文化

「西の京」などとも言われる

山口県山口市。

戦国時代後期から、

江戸~明治維新までの領主は

毛利氏でしたが、

その前の支配者だった

大内氏が残した文化財も

国宝に指定されている、

山口市、瑠璃光寺の五重塔、

下関市の住吉神社本殿など

今もなお多く残っています。

そんな大内文化に最近は、

かなり興味が湧いてしまい(笑)

今回の山口の旅は、

そんな大内文化が息づく場所を

訪問するのが第一の目的でした。

その手始めが(笑)この凌雲寺跡です。

凌雲寺跡へ

赤田神社から車で10分ほどで、

凌雲寺の駐車場に到着します。

本日の相棒「マーチ」。

駐車場の背後に積まれた石垣も

凌雲寺の境内だった痕跡でしょうか?

わかりやすい道案内。

石段。

 

凌雲寺跡のエントランス。

史跡の案内。

超訳すると

「大内義興を開基、

了庵桂悟を開山として、

永正四年(1507年)創建され、

大内氏滅亡の後、廃されました。

南端の石垣は惣門跡と言われ、

巨岩を持った石垣は有事への

備えで城塞の役目も兼ねたもの」

お寺=要塞というのは、

中世以前には、まま存在していたので、

ここはその大規模なものだったのでしょう。

大内義興のお墓。

家を継いだ嫡男、大内義隆の墓は、

大勢の家臣の墓とともに

長門市の大寧寺にありますが、

文武に優れ、

山口に逃れた足利将軍を擁して

上洛し復権させるなど、

織田信長の先駆者的な活躍もした

お父さんの墓は廃寺にポツンとあるのが、

なんとも不思議な気がします。

大内義興の婦人の墓。

大内義興の婦人の墓(その2)。

側室なのかも知れませんが、

案内には何も書かれておりません。

凌雲寺平面図。

まずは、お堂に参拝しお寺の跡地へ。

広大なお寺の跡ですね!

石垣の区画一つ一つに

どんな建物があったのか、

想像するだけでも楽しいものです。

惣門跡へ下ってみます。

もうすぐで惣門跡。

大きな石垣に到着。

まるでお城の石垣ですね!

やはりここは要塞だったのでしょう。

石垣遠景。

石垣のアップ。

戦後時代よりもかなり前なのに、

野面積みというよりも、

打込み接ぎ的な工法も見られ、

当時の最先端技術を駆使して

作られたのでしょう。

大内義興の財力と人脈を

感じずにはいられません。

やはりここでツーショット。

石垣を堪能したので戻ります。

水路と周囲の石垣も

500年前のもののようですね。

美味しい(だろう)水は

冷たくて超気持ちいい~(笑)

これで、凌雲寺跡の散策は完了です。

 

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