松本城(長野県松本市)後編
平和な時代の櫓
松本城の天守群は、
戦国末期(桃山時代)に出来た
乾小天守と天守、
大阪の陣の後、
平和な時代に出来た
辰巳附櫓と月見櫓の4つに分かれ、
特に月見櫓は、櫓というよりも
舞台とか、
観覧場所といった感じもします。
辰巳附櫓
天守から月見櫓への
渡り廊下的な部分に建つのが
辰巳附櫓です。
左端が月見櫓、その後ろが辰巳附櫓。
辰巳附櫓内部は展示室となっています。
陣笠などを展示。
遠眼鏡(とおめがね)。
いわゆる望遠鏡ですね。
火縄銃関係の品々。
携帯用玉箱など。
火灯窓。
ここから外を覗くと、
先程までの雨があがり、
青空が見えていました。
月見櫓
次にお隣の月見櫓へ。
冒頭にも書きましたが、
もはやここは櫓ではない(笑)
この開放感にビックリです。
月見櫓から見た本丸御殿跡。
月見櫓外観。
三代将軍家光を迎えるために
作ったと言われる月見櫓ですが、
石垣は時代の割には、
野面積みだし、
算木積みも見られず、
なんだか古い積み方ですね。
(結局将軍は来なかったが・・)
月見櫓の前には、
小笠原牡丹が植えられています。
案内によると
「天文十九年(1550)七月に
甲斐の武田信玄に攻められた
小笠原長時は、
林城館にあった純白の牡丹が
敵兵に踏み荒らされることを憂えて、
これを里山辺の兎川寺に託して去った。
その後、同所の久根下家は、
この牡丹を守り、
昭和三十二年(1957)十一月と、
平成十八年(2006)十月に
その株を松本城に移した。
これが小笠原牡丹である。」
470年も前の牡丹が、
今に続いているとは!
小笠原さんも久根下家さんも
グッジョブです(笑)
太鼓門枡形
ここは以前訪問した時
見逃していた場所。
今回も時間が無いにも関わらず、
好奇心には勝てず(汗)
太鼓門枡形横の堀。
枡形へ。
高麗門。
高麗門特有の羽付き(笑)
斜め横から見た高麗門。
枡形内部。
太鼓門。
太鼓門枡形の由来。
案内を要約・補足すると
「天守築造後の文禄4年
(1595)頃に石川康長によって築造。
明治に入って壊されたが平成になり復元。
この門の名称の由来となった太鼓楼は、
門台北石垣上に置かれ、
太鼓や鐘がおかれて
様々な合図が発信された。
また、櫓門の脇には、
築造者(石川康長)の官名に因む、
重量22.5トンの巨石、「玄蕃石」を据え
威風堂々とした枡形門を形造っていた。」
このように書かれています。
巨石、玄蕃石と妻。
高さ4mはありそうな鏡石です。
城内方面へ。
城内から見た太鼓門。
太鼓門礎石。
明治になって、太鼓門礎石2個を
貰い受けた飯森家の人が、
昭和48年、松本市に寄贈したものと
書かれています。
「切株」
案内によれば、
「太鼓門櫓復元の時、
櫓内の梁に使用された
樹齢140年の赤松の根元。」
このように書かれています。
ここまでで、
遂に(笑)松本城の散策は完了。
超過した時間は、
どこで埋め合わせようかな~(汗)
帰りがけに天守前のツーショットで〆。
今日の癒やし
月見櫓石垣下の小屋にいた
白鳥に癒やされました。
堀で泳ぐ姿は優雅ですが、
ここではちょっとひょうきんかな?(笑)