松原神社(肥前さが幕末維新博覧会)
本家はこちら?
佐嘉神社の御祭神は、
佐賀藩10代藩主鍋島直正公と
その子、直大公。
この二柱の神様は元々、
松原神社に祀られていたものです。
それを昭和8年、佐嘉神社の創設時に
鍋島直正公を遷し御祭神とし、
その後、昭和23年に直大公を
御遷ししています。
従って、元々の本社は松原神社で、
分社が佐嘉神社みたいなのですが、
今では佐嘉神社が本社で、
松原神社が境内社になっています。
ところが、
境内の作りはあくまでも
松原神社メインに見えるし、
佐嘉神社の神前結婚式も、
「佐嘉神社での挙式」と
言ってはいるものの実際の挙式は
松原神社の拝殿で行なわれています。
余談ですが、その拝殿、
来賓100名も収容出来る
大規模なものなのです。
そんな松原神社に参拝するのは、
今回が初めてです。
松原神社へ
佐嘉神社の境内社と言っても
昭和36年まで佐嘉神社とは
独立した経営だった松原神社は、
別個の神社に見えます。
松原神社の参道とその前の境内。
楼門。
藩祖、鍋島直茂公を祀ったのが最初で、
その後、明治に入り以前の藩主だった
龍造寺隆信公などを配しています。
楼門の神額。
昭和8年に奉納された狛犬。
丁度、佐嘉神社建立の年ですね。
吽形。
拝殿。
「日峯大明神」の神額。
松原神社は明治になってからの名前で、
江戸時代までは、日峯大明神と
呼ばれていました。
日峯大明神とは、
藩祖、鍋島直茂公の事です。
広大な拝殿です。
拝殿から本殿を撮影。
本殿側から拝殿の内部を撮影。
本殿。
拝殿の横に並んだ建物の前に、
こんな札が立てられています。
「中に入るとセンサーが作動し
電気がてらします。」
これを読めば、
中に入らずにはいられません(笑)
屋根の骨組みが凄いですね。
この部屋は、結婚式など
大人数の観覧にも使われるようです。
拝殿前の境内は、
整然としていて、
清々しい気分になれます。
そして、この松原神社には、
ミニ博物館?もあります。
奉納された有田焼。
楼門の裏に掲げられた
河童の木像、兵主部の額。
230年ほど前のもので、
以前はこの楼門に飾られていたものが
盗難防止の為社務所で保管され、
その後、境内社、「松原河童社」に
祀られています。
明治4年に御船手中より奉納の
大理石製の手水鉢。
「御船手」とは藩の御用船の
操船・管理を任務とする士卒の事です。
幕末維新で活躍した
佐賀藩の偉人達の業績紹介。
日本初の蒸気船、
蒸気機関車のミニチュア
西洋の大砲など、
日本初の技術が満載です。
今は佐嘉神社の御祭神になった
10代藩主鍋島直正公を中心に
多くの業績を紹介しています。
鍋島直正公はやはり神ですね!
佐賀の七賢人(八賢人)の業績も紹介。
佐野常民記念館ってあるんだ。
へ〜今度行ってみたいな!
そして、やはりここで気になるのが、
昨年、佐賀城本丸歴史館で見た
寸劇の主役、島義勇(よしたけ)です。
人の評価は時と場所で、
180度変わるという
見本のような方です。
明治政府(大久保利通)から見て極悪人、
札幌の人から見てヒーロー。
松原神社で改めて佐賀の凄さを
確認した僕たちは、気になる
巨木に向かいます。
境内の大楠。
鳥居まで建立されて、
大切に祀られた
樹齢600年の御神木です。
有田焼の鳥居。
補強の鉄板と覆屋もあって、
大切にされていますね。
こちらはトイレなのです!
レストランかと思いました(笑)
古い狛犬。
屋根付で、大切にされています。
境内入口付近の
禁止事項が書かれた案内。
佐嘉神社と松原神社の書き出しの位置が、
わずかに佐嘉神社が上になっている所が
ここでの両社の位置付けを感じて、
少し微笑ましく思えました(笑)
松原神社の表参道入口。
ここからは、次の目的地、
オランダハウスに向け出発です。