2018/11/14
美保神社(島根県松江市)後編
偶然なのか必然なのか
実はこの美保神社、
僕が以前、神社での結婚式の仕事に
携わっていた時に知った神社です。
その時にネットの画像で、
今までに見た事もないような拝殿の
美しい景観に驚いたものでした。
あれから10年近く経ち、
ようやくあの拝殿と
対面出来る日が来ました。
美保神社が鎮座する
美保関(みほのせき)は、
松江市の中心からは
車で40分ほどと少し遠いのですが、
その距離だからこそ、
本当に行きたい人だけが
来ている(想像です)
素朴さと、あたたかさの交わる
素晴らしい場所です。
偶然見つけた美保神社の拝殿の画像、
ですが、ここに来たのは、
必然だとわかるのはこれからでした…
拝殿、本殿へ
鳥居をくぐって、境内を進むと、
大きな看板があります。
美保神社の境内図として、
ここに掲載しました(笑)
手前の「随神門」(ずいしんもん)は、
今は影も形もありませんが、
これが完成した暁には、
かなり境内の雰囲気が、
今よりも豪華になりそうですね。
まずは御手水。
そこから階段を上ると、
お城で言うと二の丸(笑)
中段の境内に差しかかります。
本殿へと向かう神門と、
回廊下の石垣前には、
こんな案内があります。
折れ梶。
案内によると
明治時代、京都の船が
ウラジオストックに向かう際、
暴風雨にあって、能登沖に流され、
そのとき、美保大神に祈ったところ
大鯛に導かれこの美保の岬にたどり着き、
みな助かったそうです。
そのお礼に折れた梶を奉納したのが、
こちらです。
お〜確かに古いっ!
よくぞ生き残ってくれたものです。
本物があると
話しがリアルに伝わりますね!
有り難し、美保大神。
そして神門をくぐります。
うわ〜見えて来ました!
独特の造りの拝殿が。
写真だけで見ても、
是非行ってみたいと思わせる
外観でしたが、実際に見てみると、
さらに素晴らしいものです。
江戸時代建立なのかと思ったら、
意外と新しく、
昭和3年に建立された拝殿で、
このデザインを担当したのは、
伊東忠太という方です。
建築関係の人でなければ、
名前を聞いてもわかりませんよね(笑)
僕も全く知りませんでした。
Wikipediaによるとこの方の設計は、
橿原神宮(奈良県)、平安神宮(京都府)、
宮崎神宮(宮崎県)、弥彦神社(新潟県)、
そして、東京都にも
明治神宮(戦災焼失前のもの)
築地本願寺、靖国神社遊就館などなど
国指定重要文化財、登録文化財が
目白押しなんです!
有名な人だから素晴らしいものを
作れるという訳ではないでしょうが、
素晴らしい設計をして来て、
数々の実績も残していた方だからこそ
美保神社の宮司さんも、
デザイン料は高くても(笑)伊東忠太氏に
設計を依頼したのでしょう。
しかし、Wikipediaの伊東忠太氏設計の
多くのラインナップに美保神社は
掲載されていませんでした…
美保神社が有名でないからなのか?
誰かの陰謀なのか(笑)
美保造りといわれる拝殿。
ここは音楽など鳴物の神様で、
この拝殿では、詩や演奏の奉納も
行なわれているそうで、
天井は張りがそのままむき出して、
音が反響し、周囲は山に囲まれているのも
また音響の良さに貢献しているそうです。
その後、
拝殿の横から本殿に向かいます。
拝殿右側から本殿を撮影。
本殿もまたカッコいいのですが、
僕の説明だと簡単なので(笑)、
美保神社の公式サイトから引用します。
〜〜引用はじめ〜〜
向かって右側の「左殿(大御前、おおごぜん)」に
三穂津姫命、向かって左側の
「右殿(二御前、にのごぜん)」に
事代主神をお祀りしています。
大社造の二殿の間を「装束の間」でつないだ
特殊な形式で、
美保造または比翼大社造とよばれており、
建築用材の大半は美保関周辺に
自生していた松を使用し、
屋根は檜皮(ひわだ)で葺いています。
現在の本殿は文化10年(1813)に再建され、
国指定の重要文化財です。
〜〜引用終わり〜〜
本殿の真裏。
確かに比翼ですね!
本殿を拝殿左から撮影。
そして、この美保神社で感動したのは、
外観だけではありませんでした。
何と僕たちが行ったとき、
こんなことがあっていたのです!
まだ朝の8時半過ぎなのに
雅楽と巫女舞の神事が!!
何と言う巡り合わせなのか、
もう有り難過ぎて吐きそうです(笑)
このブログを書いていて知ったのですが、
これは鳴物の神様でもある
美保神社独自の
「朝御饌(あさみけ)祭」という
朝にご祭神へご供物を奉る儀式でした。
一年365日、毎日
必ず執り行われているそうで、
その開始時間が、
毎朝午前8時半からだったのです。
僕が美保神社に行く計画を立てたとき、
午前8時半美保神社参拝としていたのは、
この儀式と出逢う必然だったに
違いありません。
素晴らしいものを体験出来、
感動のルツボにいたちょうどその時、
一羽のモンキアゲハが近づき、
僕たち二人の回りをひらひらと
一周して飛び去りました。
これはきっと妻のおばあちゃんが、
僕たちをこの場に、この時間に
引き合わせてくれたんだと
これまた感動していました。
この「むしろ」、素敵過ぎます!
吹き抜けの拝殿内部。
巫女舞が出来るよう、
音楽の奉納がやり易いよう
作られていますね。
いや〜ため息ばかりの
美保神社ですよ(笑)
次に最初から注目していたのは、
拝殿両脇の狛犬です。
何と備前焼です!
見た目からして、
比較的新しいもののように
感じたのですが、
それは大間違いでした(笑)
「備前岡山 高田屋清吉」の
文字を頼りにネットで調べてみると
驚きの事実を知る事に…
この狛犬、江戸時代、
文政13年(1830年)の作でした。
それにしても完璧なメンテナンス。
奉納されてから200年近い歳月を
全く感じさせないものです。
実はネットで調べなくても
この反対側に
その事実が書かれていたのです(汗)
もっと冷静に狛犬を見ないと
だめですね(笑)
それにしてもイタズラで割られる事も、
盗難に遭う事もなく、
これだけ綺麗な状態で、200年近くを
過ごして来た備前焼の狛犬が、
他にあるのでしょうか?
ある神社ではひび割れていたし、
ある神社では経年劣化がひどかったし、
また他の神社では盗難防止のため
細かな目の金網の中に入れられていたし..
それらに比べ、全く無防備で
野ざらしになっていても
新品のように感じさせる
美保神社の備前焼狛犬を見ると、
ここが何故こんなに心安らぐ場所なのか
なんとなく分かる気がしてきました。
やはり全てが「包まれている」感じ、
「守られている感じ」そして、
「歓迎されている」感じなんです。
そして、次に境内社の紹介です。
本殿裏側に鎮座する社で、
若宮社、今宮社、秘社の三社です。
その横には何か霊験あらたかな
小さな池がありました。
その後、回廊へ。
拝殿前の回廊も、
昭和3年の建立です。
この「木」感、いいですね!
回廊に置いてある大太鼓。
安政の大獄があった年の
安政5年(1858年)に製作され
鳥取藩で使用されたもので、
この太鼓は同じ物が三つあり
要するに「太鼓三兄弟」として、
今も全てが健在なのです!
僕たちが8時半に
鳥居のあたりにいたとき、
「ドン、ドン、ドン、」と
聞こえたのは、朝御饌祭が始まる
この太鼓での合図だったのです!
反対側には般若の大きなお面。
〆は、いつものツーショット(笑)
御朱印
小見出しをつけて
御朱印を紹介するのは珍しいかも(笑)
朝9時前というのに、
快く授与いただきました。