大刀洗平和記念館(令和4年7月)

 

戦争を伝えるには形から

2年前にも妻と訪問した

大刀洗平和記念館

ここでの展示方法や、

写真撮影の可否などの規則、

その他、特別展の企画などは、

実に秀逸だと感じます。

その「展示物」の中で

エポックメイキングな出来事が起きたのが、

今年7月6日に公開された

戦闘機「震電しんでん」の実物大模型の展示です。

「ゼロ戦」は知ってても、

震電を知る日本人ほ、ぼいないはず。

(アニメ・漫画には登場していますが)

震電は戦争末期、

技術の粋をつぎ込み、

日本を守る為に技術者達が

精魂込めて努力した証です・・

だからこそ、ここに展示されることが、

大きな意味を持つと感じます。

戦争は、あってはいけないもの・・・

しかし、人類の歴史は残酷で、

科学技術というものは戦争によって、

超短期間で格段に発展します。

何故ならば、仕事の成否で、

自分が生きるか死ぬかが

決まってしまうので、

みんな知力、体力をフル活動で

駆使するからです。

戦国時代、ポルトガルから日本に

もたらされた鉄砲は、

またたく間に国産化され、

改良、量産と、

当時、世界で一番鉄砲を保有する

国になっていましたし、

家康が大阪城落城に導いたのは、

最新兵器「大砲」の威力でした。

この発展もひとえに

戦争で大進化した科学の産物です。

「使命感を持って何かを成し遂げる」

この事の尊さの意味を

多くの方が理解する一助になれば、

「震電さん」も本望ではないでしょうか。

パンフレット

まずは、パンフレットから・・・

パンフレット(外側)

入館料は2年前と同じですが、

震電の追加展示など、

内容の充実ぶりからしたら、

正直かなりの値下げと同じでしょう。

パンフレットの内側には、

震電も紹介されています。

大刀洗平和記念館へ

甘木鉄道、太刀洗駅を下りて、

信号を渡るとそこに

大刀洗平和記念館はあります。

駅を背にして記念館方面を撮影。

エントランスには、

昭和14年に開隊した

航空技術兵の学校、

「第五航空教育隊」の正門が移設され、

僕たちを出迎えてくれます。

外観。

館内

ホールに入ると、

七夕飾りが置かれ、

7月を感じさせてくれます。

保育園の園児たちの作品ですね。

ここからは、基本撮影禁止。

ただし、

以前、館内で写真撮影出来るのは、

零戦(ゼロ戦)だけだったのですが、

九七式戦闘機と震電も加わり、

メインの3機全部が

撮影可能になっています。

大刀洗平和記念館の、この英断に、

ただただ、感謝しかありません!

震電

まずはお目当て震電へ。

震電について簡単にまとめると

以下になります。

「昭和20年の終戦間際、

蓆田むしろだ飛行場(現在の福岡空港)で

試験飛行に成功。

高速と重火器で、

B-29迎撃の切り札と期待されるも

戦争は終わり、3機あった機体のうち、

2機は解体され、1機は米軍が接取し

現在はアメリカのスミソニアン博物館に

展示されている」

長い御御足が特徴の震電、

模型とはいえ、まるで実物、

素晴らしい出来栄えです。

斜め下から。

正面下から。

アンテナ棒は角度をつけて

右前側にあったことを確認。

左横から。

特殊な形がよく分かります。

右後方から。

後ろから。

いかにもスピードが出そうな

6枚翼のプロペラ。

2階から撮影。

先端の30mm機関砲のアップ。

この大口径銃を使い、一撃離脱で、

B-29を撃墜する構想だったのです。

後退翼のアップ。

震電の実物大模型、

想像を遥かに越えたクオリティに

感激しきりの僕でした。

零戦(ゼロ戦)32型

次に零戦へ。

震電とのツーショット。

2階から。

九七式戦闘機

次は、今回から撮影可能になった

九七式戦闘機へ。

博多湾に不時着し、

沈んでいたものを復元しています。

飛行機の操縦士は助けられましたが、

その後まもなく特攻隊として出撃、

散華されています・・・

この九七式戦闘機は、

オリジナルよりも

かなり光沢を出した復元で、

背景の夕陽と、

床の夕陽色も絶妙で、

搭乗員の生きた証に

思いを馳せてしまうくらいに

心に入り込む展示方法に

感動すら覚えます。

機首部分のアップ。

右横。

左横。

左斜め上から。

2階から正面を撮影。

上斜めから。

資料館を出て、ツーショット。

今日の発見

大刀洗平和記念館の正門前に

こんな石碑を発見しました。

「菊池武光公太刀洗之碑」

「是○西三町三拾・・・・」

「太刀洗・・・・」

このように刻まれています。

この後、

菊池武光公の銅像へ

行く予定の僕たちなので、

なんか菊池さんに呼ばれた気分に(笑)

この碑は戦前のものでしょうが、

南北朝時代、南朝方として

この地で戦った菊池さんは、

明治政府の方針からすると

忠臣の鏡みたいな人。

やはり大切にされていますね。

 

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