御城稲荷神社(鶴ヶ岡城)
結束力の賜物
御城稲荷神社は宝永五年(1708)
鶴ヶ岡城の北東隅に、
鬼門守護として創建されています。
Googleマップで見ると、
東北の隅というのが、
よく分かりますね。
パンフレットには、
「鶴ヶ岡城の北東の鬼門をお守りする為
六代酒井忠真公が創建された神社で、
現在残っている御城時代の唯一の建築物。
2月の初午の日には
参拝の為に御城を開放し、
農民・商人等大勢が参拝したと言われ、
お城解体の際も
民衆達の崇敬厚く廃社を免れた。」
このように記されています。
庄内藩というのは、
天保の義民事件での
幕府への転封撤回の直訴、
戊辰戦争後、
一旦は会津藩などへ移封されるも
藩士や領民の力(金も含む)で、
庄内に復帰したりと
藩上げての強固な結束力があり、
それを思えば、
御城稲荷神社の存続も
当然の帰結という感じもします。
大寶館(本丸中門跡)
鶴ヶ岡城跡には、
本丸中心部の荘内神社をはじめ、
いくつかの建築物があり、
城跡を巡ると必然的に、
その景色もついてきます(笑)
橋から見た内堀。
ここから視線を右にやると
見えてくるのは、こんな建物です。
大寶館。
上品で趣ある外観は、
かつてここにあった
本丸中門の後継者として、
最適任と言えそうですね!
以下、
致道博物館のサイトからの引用です。
「大正天皇の即位を記念して創建され、
大正4年(1915)10月に完成、
11月10日即位の日に開館した。
大寶館は、大正初期の洋風建築で、
赤い尖塔と白亜の殿堂として
大正建築の優美さが、
内部を含めて原形をとどめている。」
建物下にひっそりと建つ、
本丸中門跡の案内。
御城稲荷神社
大寶館からは、
鶴ヶ岡城最後の目的地、
御城稲荷神社へ向かうのですが、
ここで雨はさらに強くなり、
靴もべちゃべちゃで、
少し四阿(東屋)で雨宿りすることに・・
菖蒲池前の四阿。
数分間佇むも一向に雨足は弱まらず、
もはや待機は無駄と悟り?
大雨に再突入(笑)
お堀の一部を菖蒲園として
現代に蘇らせる手法は、
地元の福岡城はじめ、
各地のお城でも見て来ましたが、
ここもその例に漏れず、
実にいい雰囲気を
醸し出していますね!
土塁と石垣(復元かな?)
二の丸。
二の丸の北東隅の神社へ。
案内。
御城稲荷神社の社号標。
「おしろいなり」なのか、
「みじょういなり」なのか、
ネットには二通りあって、
いまだに読み方がわかりません。
参道から見た雨の中の御社殿。
参拝。
拝殿(左)本殿(右)。
お稲荷さんを集めて
お祭りしている一角にも参拝。
土砂降りの記憶と共に(笑)
参拝完了です。