新薬師寺(奈良市)

 

「車だめ」(笑)

東大寺方面から

Google Mapで目指す

新薬師寺前の専用駐車場は、

ホントに車道なのかな?と思う位の

狭い道の先にあります。

実際にお寺にあったのが、

こちらの地図です。

僕たちが通った道も「狭い道」と

しっかりと解説されていて、

車が通れない道は「車だめ」(笑)と

書かれて、お寺の愛が詰まった、

実に懇切丁寧な地図なんです。

この地図をサイトに掲載すれば、

参拝者も事前に詳しい道が理解出来、

アクセス案内は、より完璧でしょう!

御由緒

新薬師寺でいただいたパンフレットには、

御由緒などが、

かなり詳しく案内されています。

御由緒を抜粋・要約すると

次のようになります。

「新薬師寺は、天平十九年(747)、

聖武天皇の病気平癒を祈願して、

お后の光明皇后によって創建されました。

聖武天皇は、天平十五年(743)、

動物植物ことごとく栄える世の中をめざし、

盧舎那大仏造立を発願され、

近江国信楽宮で

行基菩薩をはじめ多くの人々とともに

大仏建立に着手されました。

ところが、天平十七年(745)、

山火事と地震が頻発したため、

工事を中断して平城京に戻られました。

大仏造立は平城宮の真東の山麓

(現在の東大寺)で再開されましたが、

天皇ご自身は体調をくずされました。

そこで天皇の病気を治すため、

都とその近郊の名高い山、

清らかな場所で、薬師悔過やくしけかが行われ、

都と諸国に薬師如来七軀を造立し、

薬師経七巻を

写経することが命じられました。

薬師悔過とは、

病苦を救う薬師如来の功徳を讃嘆し

罪過を懺悔して、

天下泰平万民快楽を祈る法要です。

これをきっかけに、

光明皇后によって

春日山、高円山たかまどやまの麓に、

新薬師寺が造営されました。」

もし、最初の近江国信楽宮で、

大仏が完成していたら、

今頃は滋賀県に大仏見学の人が

押し寄せていたかも知れません(笑)

本堂へ

先述した駐車場がこちらです。

お寺の真ん前なので、超便利。

入場口は、鎌倉時代建立、

重要文化財指定の南門です。

早速本堂が見えていますね!

「鹿が入らないように、

必ず閉めてください。」

奈良ならではの(笑)

貼り紙に思わずニッコリの僕たち。

静寂な境内。

本堂。

パンフレットを超訳すると

以下になります。

「奈良時代の建物で、国宝です。

当初は本堂でなく、

修法を行うための

お堂だったと考えられます。

本尊の薬師如来坐像、

十二神将立像(いずれも国宝)が

安置されています。

柱は40本あり全て円柱です。」

本堂右斜めから。

ここで、右側面に気になるものを発見。

これはいったい・・・

ステンドグラスみたいな?

アクセントになった

YとAを重ねたようなデザインは

新薬師寺の「や」のYAでしょうか?

気になりますが、解明は出来ません。

左斜から。

左側面が出入口です。

この中にあるのが、

先述した、「十二神将立像」で、

これを妻がテレビで見て、

「行ってみたい!」と言ったのがきかっけで、

新薬師寺への訪問を決めました。

写真撮影は不可なので、

パンフレットで思い出に浸ってみます(笑)

本尊と十二神将立像の配置図。

パンフレットを要約すると

下記のようになります。

「奈良時代の制作で国宝です。

薬師如来を信仰する人を守る、

夜叉(やしゃ インド神話で

森林に住む精霊)の大将です。」

十二神将立像を目の当たりにして、

妻が喜ぶかと思っていたら、

なんか拍子抜けしたような顔だったので、

「これが見たいって言ってた

十二神将立像だよ」

そう言うと、

「博物館にあるのかと思ってた~」

とのお答えが(汗)

いつもの天然勘違いが出現です(笑)

まあ、僕の方が楽しめたから

ま、いっか~(笑)

ビデオ鑑賞

職員の方に教えて貰い、

ビデオ鑑賞へ。

「ビデオ放映中」の案内。

門を入ると、

こんな所にビデオがあるのかと

疑いたくなるような庭園が出現。

縁側から上がってビデオを鑑賞。

十二神将立像の「バサラ像」を

CGによって、

建立当時の金箔などが使われた、

極彩色に復元するという内容です。

今はモノクロに近い色になった像が、

こんなにカラフルだったとは、

想像だけではわからないもの。

新薬師寺に行ったならば、

鑑賞されることをオススメします。

ビデオ鑑賞後庭へ。

手水鉢でしょうか?

それとも礎石?

どちらにしても、いい雰囲気です。

境内散策

次に境内を散策へ。

會津八一歌碑。

喜光寺でも會津八一の歌碑に

出会いましたが、

ここにもあるとは、ビックリです。

パンフレットには、

「ちかづきてあふぎみれども

みほとけのみそなはすともあらぬさびしさ」

(大意)

「近づいて仰ぎみても、

仏さまは

自分を見ておられないようでさみしい。」

このように書かれています。

鎌倉時代建立の鐘楼と

奈良時代鋳造の梵鐘(見えませんが)

雨乞いの神様、善女龍王社。

地蔵堂。

実忠和尚御歯塔。

Wikipediaによると

「実忠は東大寺の十一面悔過

(けかえ、通称お水取り)の創始者とされ、

二月堂を創建して752年

(天平勝宝4年)2月1日から

14日間開始したとされる。」

「767年(神護景雲元年)には

御所より光明皇后の一切経をもらい受け

如意法堂を建てて納め、

春秋2回の一切経悔過を開始し、

それともに財政の整備に貢献した」

このように書かれています。

大きなお地蔵様の板碑。

境内社(御祭神は不明)

小さなお地蔵様たち。

本堂前にてツーショット。

これにて新薬師寺の参拝は完了です。

今日の気になるもの

南門入ってすぐ左側に立つ

古い柱が気になりました。

こちらが鎌倉時代に建てられた当時、

初代の南門の柱ではないかと

勝手に想像しています。

 

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