水分神社(広島県府中町)
素敵な町名
「広島県安芸郡府中町みくまり」は、
水分神社の鎮座地より
少し南側に位置し、実在する住所です。
「みくまり」を漢字で書くと
「水分」ですが、
多くの人が「みずわけ」と読みそうだから
平仮名の地名にしたのでしょう。
水分神は、文字通り水を司る神様。
そんな「みくまり」という
言葉の響きだけで、
有り難さを感じる素敵な町名です。
水分峡森林公園
水分神社は、水分峡を中心とする
「水分峡森林公園」という
キャンプ場設備なども整備された、
大規模な自然公園の中にあります。
水分峡の案内。
内容を書き出すと、
「水分峡は、標高682mの
呉娑々宇山の麓に位置し、
四季折々の姿を見せる少渓谷は
緑豊かな自然が残っています。
この渓谷の入口近くには、
水の神である水分神社が祀られ、
上流には清流が幾重にも
重なり合いながら落ちていく
草摺の滝や振打岩などがあります。
(後略)」
このようになります。
水分神社へ
多家神社から車で5分ほど走り、
水分峡森林公園の駐車場に到着。
ここからは徒歩。
山小屋風の休息所。
榎川沿いの遊歩道。
さらに進むと、
木橋が見えてきます。
向こう岸へ。
橋上からの風景。
御社殿へ
思ったよりも
あっさりと社頭に到着。
「水分神社と草摺の瀧」の案内。
書き出してみると、
「水分神社は、貞観元年(859)に
従五位下を授けられた
安芸国水分天神の名残と考えられ、
鎌倉時代には、
八幡宮・総社・角振社などとともに
国に年貢を納めなくても良い
免田が認められるなど、
古い歴史を持つ神社である。
水分には水配りの意味があり、
府中地域の水の神としてまつられた神社で、
旱魃の時には雨乞いの祈祷が
たびたび行われたことが
江戸時代の記録に残されている。
草摺の瀧は、
水が幾重にも重なりながら
落ちてい行く瀧の様子が
鎧の草摺に似ているため、
江戸時代の終わりごろ
頼春水が名付けたと伝えられている。」
このように記されています。
頼春水は、「日本外史」で有名な、
頼山陽のお父さんです。
ちなみに山陽の母の名前は静子といい、
59年間も日記を書き続けた女性で、
僕達がこの日の朝、
広島市内の猿猴(えんこう)橋で見た
頼山陽の漢詩に、その母への愛情が
深く込められていた事を思い出します。
水分神社由緒。
書き出すと、
「この水分神社は神武天皇御東征の砌り
安芸の埃宮滞在中このところにおいて
水を御汲み取りになったとして
申し伝へられる(口碑)
当社の祭神は
天之水分神国之水分神を
祭神とし貞観年中(千百年前)
勧請したるものと云ふ(口碑)
貞観九年十月十三日従五位下を
贈らる(三代実録)」
このようになります。
手水鉢。
手のひらに三角形の水槽が
彫られたように見えますが、
製作者の意図やいかに・・・
石段。
自然石を荒削りしたようで、
素朴さが魅力の燈籠は、
文化八年(1811)の奉納。
対になる左側の燈籠。
拝殿にて参拝。
拝殿後ろの本殿。
背後の岩が、磐座というか、
ご神体っぽく見えますね。
本殿にも直接参拝。
榊の量が半端ない(笑)
公園散策
参拝後、神社から少し奥を散策。
岩屋観音は遠いのでパス。
真っ直ぐ行きます。
「水分峡大堰堤(せきてい)」の案内。
大正15年に大洪水があり、
大きな被害が出たため、
国に対策を陳情し、
昭和16年、水分峡堰堤工事が
完了した事が書かれています。
しかし・・・
近年も大洪水のため被害が出て、
僕達が訪問した時、
水分峡森林公園の利用は、
まだ一部分のみだったようです・・。
大堰堤の一部。
向こう岸へ。
石積みからして、
昭和16年完成の堰提かな?
この後、駐車場に戻り広島駅へ。
広島駅にて
今回の自分たち土産はこちら。
「生もみじ」と「がんす」は、
広島土産として、
必須アイテム化しています(笑)
待合室のハローキティ新幹線。
こんなものまで作っていたのか!
JR西日本(笑)
17時51分、広島発博多行き
こだま859号の入線。
めっちゃ中身が濃かった広島の旅も
あとは博多まで、まったりするだけです。