南方八幡宮(山口県宇部市)

 

南と北に分離

南方八幡宮の沿革について、

山口県神社庁のサイトには

次のように書かれています。

「御創建は、奈良時代の

天平勝宝三年(七五一)、

厚東氏四代の白松太夫武綱公が、

豊前国宇佐八幡宮の御分霊を迎え、

古尾の地に社を建て、

吉敷郡賀保荘の鎮守としたことに始まる。

鎌倉時代の天福元年(一二三三)、

大内十五世多々良弘貞の時、

賀保荘を南北に分け、南は吉沢

(西岐波上ノ原)の清水山に仮宮を建て、

その後建長七年(一二五五)、

現地に奉遷して南方八幡宮とし、

北は須田村へ北方八幡宮として

それぞれ分祀された。」

僕たちが以前参拝した、

山口市阿知須の北方八幡宮

こんな関係があったとは、

初めて知りました。

ちなみに「古尾の地」にも

明治時代になって、

古尾八幡宮が再度建てられ、

都合三社となています。

参道

この旅で最後の参拝となった

南方八幡宮、

社頭には広大な駐車場があります。

ここからの参拝者は僕たちだけ。

一の鳥居(多分)。

向かって右側に吽形の狛犬。

珍しい配置ですね。

嘉永二年(1849)の寄進。

ペリーさんが黒船に乗って浦賀に来る

4年前ですね。

阿形。

参道は山口特有?の

灯籠がいっぱいタイプ。

そして、これも山口オリジナル、

「楼拝殿」が見えて来ました。

手水舎。

清浄な水と柄杓で清め、

アルコール消毒で完璧な禊が完成(笑)

御社殿

清めた後は参拝へ。

楼拝殿を最初にデザインした人、

素晴らしいセンスですね。

拝殿前の古い狛犬も

右側が吽形になっています。

当然左が阿形。

ここまで来て気付いたのは、

ここは楼拝殿というより、

楼門ですね。

拝殿は別に建てられ、

屋根で繋がっています。

鎌倉時代に分離した北方八幡宮も

同じく楼拝殿風の楼門で、

拝殿とは別なのですが、

元は一つだった両者には、

共通した「何か」が

あるのかも知れません。

楼門、拝殿から本殿へ。

本殿。

若宮八幡宮に参拝。

境内散策

境内には

神仏習合時代の名残がちらほら・・・

亀形の石碑。

梵鐘。

山口は比較的、

神仏習合の名残を感じさせる神社が

多い気がしますが、

廃仏毀釈が緩かったのでしょうか?

慰霊之碑に参拝。

楼拝殿バックに

ツーショットで参拝完了。

今日のお言葉

参道入口に掲示されていたのが

千利休さんのお言葉です。

「習ひつつ みてこそ習へ、習はずに

善悪(よしあし)いふは 愚かなりけり」

僕も心当たりは・・あります(汗)

400年前も今も

人は変わっていませんね(笑)

 

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