三隅山荘(山口県長門市)

 

偉人の生家

三隅(みすみ)山荘というのは、

江戸時代後期、

長州藩の藩政改革などで活躍した

村田清風の旧宅で、

生家でもあり、

最期を過ごした家でもあります。

村田清風は、

天明三年(1783年)生まれですから、

今から250年も前なのです。

そんな古い偉人の生家が、

「当時のまま」残っているなんて、

ほんとに凄いことですよね。

もちろん、地元の方々の

「偉業を後世に残すぞ!」

というお気持ちが、

今に繋がっているのは

言うまでもありません。

三隅山荘・母屋

村田清風記念館のお隣に

三隅山荘はあります。

記念館を見終わった時、

職員の方が、

「内部公開は16時で、

終了していますが、

敷地内には入れますよ」

そう親切に教えてくれたので、

早速行ってみました。

入口。

案内。

そして、いきなり視界に

飛び込んでくるのが、

こちらの松です。

地上3mほどのところから

幹はいきなりL字形になり、

水平に枝が伸びています。

案内。

村田清風が40歳の時に植えた松で、

平成12年(2000年)の

豪雪で上部の枝、幹の大部分が

折れたと書かれています。

こんなに手厚く保護しながら、

保存されていることに感激します。

これから何百年でも

長生きして欲しいですね。

母屋の全景。

裏側。

妻が、

「これ、この前見たのと

同じ構造やね」

と言った、台所からの水路。

「この前見た」とは、

日田の広瀬淡窓の塾、

咸宜園(かんぎえん)での話ですが、

妻は咸宜園という名前は、

忘れているでしょう(笑)

裏庭から。

ここだけ切り取ると、

まるで江戸時代に

タイムスリップしたようですね。

裏庭に植樹された櫨(ハゼ)の木。

「令和二年三月吉日」と

書かれていますので、つい最近ですね。

「ななび」という長門市の観光サイトには、

村田清風が藩政改革の一つとして、

ハゼの木から絞った蝋の販売を

奨励した事を後世に伝えるための

植樹でもあるという風に書かれていました。

尊聖堂

母屋の向かいにある小さな建物が

尊聖堂です。

尊聖堂へ。

案内。

「村田清風は天保年間の内紛の際、

郷土の青少年に文武の振起と

士風作興を講ずるために

三隅山荘のこの地に尊聖堂を建立」

このように書かれていて、

現在あるのはその縮小版です。

正面。

反対側側面から。

石碑

庭内の石碑を散策。

「村田清風先生の碑」

大正九年の建立です。

贈従四位 大津唯雪翁の碑。

「清風松」と書かれた古い石碑。

案内文を見落としてしまい、

これがなにかを調べたら、

木戸孝允が建てたと

書かれているサイトを見つけました。

次回、訪問時には、

詳しく調べてみたいものですね。

再度、行く気になっている

僕がいます(笑)

ちょっと慌てた話

長門市から新下関駅に車で戻り、

レンタカーを返却、

そこからは電車で福岡まで帰りましたが、

僕は一つ忘れている事がありました・・・

それが、こちらです。

新下関駅は改札からホームまで、

圧倒的に長い距離の

動く歩道があるのです。

来た時に使ったのに完全に忘れ、

列車の発車時刻が迫ってしまい、

動く歩道で動く僕たち(笑)

良かった!間に合った(笑)

 

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