宮ノ陣神社(福岡県久留米市)

 

神社建立の経緯

今から700年ほど前の南北朝時代、

後醍醐天皇の皇子で、

征西将軍宮と呼ばれる懐良親王が、

陣を置いたという史実から、

この地には「久留米市宮ノ陣」という

地名が付けられ、

明治時代、その宮ノ陣に建てられたのが、

「宮ノ陣神社」です。

明治政府の方針によって、

歴史上活躍した天皇や皇族、

また、天皇を助けて奮戦したり

死んだりした人は、

大いにクローズアップされ、

国民に「こんな偉い人がいたんだよ」

と広く教えるようになりました。

その一つが、

宮の陣神社の建立なのでしょう。

神社の案内によると、

「懐良親王がこの地に陣を張られた

故事にちなんで、

明治二十一年に神殿を創建し、

後征西将軍宮良成親王

(懐良親王の甥)を祀ったのが、

宮ノ陣神社の始まりです。

後、四十四年、

懐良親王の霊を合祀しました」

このように書かれています。

明治政府の方針であったにせよ、

僕たちが南北朝時代における

九州の歴史を知る事が出来たのは、

宮ノ陣神社のお陰ですね。

参道

いつものように神社前の駐車場から

一の鳥居まで戻って参拝開始。

「征西将軍宮御陣跡

将軍梅 宮陣村」

このワンフレーズで、

宮ノ陣神社の全てを

表現しています。

将軍梅とは、神社内にある

懐良親王お手植えの梅の事です。

そして、石柱に巻かれていたのは、

現代の案内です。

僕たちが訪問したのは、

2月11日ですから

咲き始めというところですね。

一の鳥居。

参道の右側にお地蔵様を発見。

綺麗な花が飾られて、

大切にされています。

社頭。

梅は・・・咲いていますね!

社頭の狛犬は

蝶ネクタイをしている風で、

ちょっとダンディーかも?

吽形。

咲き始めとは言え、

参道の両脇に梅の花なんて、

かなり贅沢ですよ!

案内。

二対目の狛犬も、個性的です。

吽形。

拝殿へのエントランス。

素晴らしく綺麗に

掃除された参道だと感激していたら、

すぐ横には、実際に掃除をされている

男性がいらっしゃり、

参拝前にご挨拶しました。

拝殿にて参拝。

屋根の神紋はカラス?

足が3本ではないし

八咫烏ではないような・・・

拝殿の階段に置かれた案内。

懐良親王がここに陣を張った

筑後川の戦いの事が書かれ、

その中に、

「筑後川の戦いで

深手を負った懐良親王が、

(小郡市の)大中臣神社に

傷の回復を祈願したところ

その加護で全快したことに感謝し、

藤の木を奉納したという。」

このように書かれています。

大中臣神社は、僕たちが数年前に

満開の藤に感動した神社ですが、

そんな言われがあったとは、

ここに来て初めて知りました。

懐良親王、何かと植えられています(笑)

拝殿と梅の花。

本殿と梅の花。

本殿の神紋は鶴。

境内社

本殿向かって左側に

石祠群が並んでいます。

昔は各地にあったものが、

ここに集められたのでしょう。

火防の神様、秌(あき)葉社。

秋の古い文字が使われていて、

側面には天保十四年(1843)と

刻まれています。

安永九年(1780年)建立の八龍社。

神社名は分かりませんが、

大国様と恵比寿様が彫られていますので、

「縁起が良い神社」には違いありません。

こちらは文政九年

(1826年)生まれです。

他にも沢山ありますが、

気力が無くなってきたので(笑)

ここで境内社参拝は終了。

将軍梅

次に冒頭でも書いた

懐良親王お手植えの梅である

将軍梅へ。

由来碑。

玉垣内の木が将軍梅ですが、

咲くのはもう少し先のようですね。

境内の梅

改めて咲いている梅を撮影。

紅白。

紅梅アップ。

白梅アップ。

梅と僕たち(笑)

各地で名前は良くきくけれど、

その功績はあまり知らなかった

懐良親王のことを、

ようやく少し分かることが出来た

宮ノ陣神社の訪問でした。

 

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