元寇神社(福岡市)

 

徒歩で元寇防塁巡り

金龍寺の貝原益軒の墓、

浄満寺の亀井南冥の墓を参拝後は、

昼食を挟んで、

付近の元寇防塁跡をめぐる旅。

防塁は、

福岡市西新町界隈に集中しているので、

徒歩でも簡単に巡れるます。

昼メシ

お昼はひさ〜しぶりのガスト。

僕の記憶が正しければ、

2020年春の四国旅行で行った

善通寺店以来なので、

5年以上ぶりになるんですね(笑)

今川から西新方面へ。

ガスト到着。

20年ほど前、

時々利用していたお店なので、

僕も妻もちょっと懐かしい気分に・・

そして店内へ・・

僕たちの座席番号17は、

僕の誕生日と同じ数字!

しかも

本日2度目の「17」なので、

僕のテンションは爆上げです(笑)

ちなみに一度めの「17」は、

鳥飼八幡宮の御朱印授与待ち札です。

程なくしてロボット配膳係が到着。

人口減少対策とコスト削減を

一挙に解決してくれるロボット、

流石です!

妻は恒例のナスのグラタン。

僕は和風パスタ。

一気に掻き込む僕(笑)

グラタンは火傷に注意(笑)

そしてしばし、

二人してガスト時間を満喫。

元寇に因む名前

ガストを出てさらに西へ。

福岡市の頭脳が集まる(笑)

福岡藩の藩校だった、

修猷館しゅうゆうかん高校前。

ちなみに亀井南冥が学長だった

福岡藩の藩校西学問所「甘棠館かんとうかん」は、

藩校東学問所「修猷館」と同時期に

設立されたものの

火災により焼失し、

以降、

福岡藩の藩校は修猷館一校に

統一されたという経緯があります。

「防塁前」バス停。

背後の石垣風の壁が、

元寇防塁に見えてくるから不思議です。

「防塁」交差点。

この交差点にあるのが、

こちらの標柱です。

「史跡 元寇防塁 入口」

標柱のデザインが、

防塁の「石」を彷彿とさせます。

西南大学キャンパス内の案内。

元寇神社

西南大学の並びに、

一つ目の「遺跡」はあります。

まずは「元寇神社」へ。

本殿。

参拝。

賽銭箱代わりに置かれた石には、

何故か皆んな1円を置かれているので、

僕たちも同じく1円に(笑)

そして、本殿左右の標柱へ。

本殿向かって左側。

こちらは昭和六年建立、

平成二十三年改修と刻まれています。

本殿右側、

「元寇七百五十年慰霊祭之碑」。

最初の元寇、

1274年の文永の役から750年後の、

令和六年十月二十日建立の新しいもので、

モンゴル語も刻まれています。

本殿後から標柱の裏側を確認。

裏側にもモンゴル語が・・・

相撲をはじめ、ODAなども通じ、

強い絆で結ばれるモンゴルと日本。

不幸な事ではあったものの、

お互いに「歴史上の大切な出来事」として、

当時を俯瞰し、

さらなる親交を深められれば、

それが当時戦った人々への

最大の慰霊になるのかも知れません・・

 

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