筑波山神社(茨城県)境内社

 

倭建命やまとたけるのみこと

筑波山神社拝殿の向かいに、

こちらの石碑があります。

「爰仰 筑波山」

爰は「ここ」と読むそうです。

難しい!(汗)

こちらの武人は、

恐らく倭建命でしょう・・・

(違ったらごめんちゃい!)

以前受検した神社検定のテキストに、

倭建命(日本武尊)が、

甲斐(山梨県)の酒折宮で、

「筑波山」を詠んだ歌がありました・・

「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」

新治、筑波からどれくらいの

日が経ったのだろう?

みたいな歌です。

この時倭建命は、

疲れていたんでしょう・・

父の景行天皇からは、

戦いに明け暮れる日々を強いられ、

九州、出雲、関東を従える

大きな功績を残しながらも

皇位継承がならなかった倭建命、

最後は伊吹山での傷が元で、

亡くなるのですが、

時代は違えど、

平家追討に大活躍しながらも

悲劇的な最期を遂げた源義経と

どうも重なってしまいます・・・。

日枝神社・春日神社

拝殿で参拝後、

すぐお隣の日枝神社。春日神社へ。

拝殿と本殿(左奥)。

「日枝神社・春日神社・拝殿

(県指定文化財)」

以下、案内の抜粋です。

「寛永十一年十一月(1632)

三代将軍家光公寄進

延暦の初、奈良興福寺の

高僧徳一大士(恵美押勝の子)

諾冊二尊(イザナミ・イザナギ)を拝し

筑波山知足院中禅寺を開基し、

その鎮護社として藤原氏に縁の深い

両社を勧請したと伝わる。」

恵美押勝とは藤原仲麻呂の事で、

あの有名な藤原仲麻呂の乱の主役です。

Wikipediaによると

一族がことごとく殺された中、

高僧徳一大士のみが出家していた為、

生き残ったとされていますが、

諸説あるようです。

拝殿。

こちらの賽銭箱も、

本社と同じく、

めっちゃ頑丈な青銅製ですね!

鈴じゃなく鰐口。

神仏習合の名残かも?

参拝。

拝殿右側から本殿へ。

ここで巨木の杉を発見!

妻も登場して高さを比較。

本殿に参拝。

本殿斜め後ろから。

極彩色の社殿は、

家光さんの好みかも?(笑)

楠木正勝の墓

続いて本殿裏側の楠木正勝の墓へ。

なんだこりゃ〜!

岩と根っこと幹が一体化して、

通路を塞ぎそうですよ!

まるで墓守みたいです!

幹と根っこアップ。

「楠木正勝の墓」

以下、全文です。

「この石塔「六角石造宝憧」は

南朝の忠臣楠木正勝の墓と伝えられる。

楠木正勝は、楠木正成の孫で、

虚無僧の祖と慕われている。

一説には、現在の白雲橋近くにあった

古通寺(普化宗)にいたといわれている。

古通寺は昭和十三年(1938)の

山津波により流された。」

参拝。

愛宕山神社

次にお墓の上にある愛宕山神社へ。

石段。

参拝。

ここまでで参拝は

全て終了。

(厳島神社だけ見逃してますが)。

拝殿前にてツーショット完了。

随神門から下って駐車場に着くと・・

お〜なんと夕日の富士山ですよ!

レンタカーの窓に形どられた

二つの富士山と共に。

もしやこれが富士山を

引き寄せてくれたのかな?(笑)

電線が映り込まない場所へ移動し撮影。

まさか筑波山から

富士山の夕景を楽しめるとは、

サプライズな終幕に

歓喜した僕たちでした!

 

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