2020/03/16
宗像大社中津宮(福岡県宗像市)前編
次女の家に長女がお泊り
宗像三女神の長女、田心姫命は
沖ノ島の沖津宮の御祭神、
三女の市杵島姫は本土の
一般的には宗像大社と呼ばれる
辺津宮(へつぐう)の御祭神、
そして、今回参拝した
大島の中津宮には次女の湍津姫命が
御祭神となって鎮座されています。
ところが、僕たちが行った9月29日には、
10月1日の「みあれ祭」の準備のため、
沖ノ島から海を渡って、
ここ中津宮に田心姫命が
神輿に乗って運ばれ、
本殿に仲良く一緒に
お鎮まりになっていたのです。
という事は、
今日、中津宮で参拝すれば、
遥拝ではなく直接
沖津宮の田心姫命にも
参拝出来るということですね!
なんて日だ~!(笑)
中津宮へ
短い時間ながらも
船旅を満喫した僕たちが、
大島に着いて一番に目指したのが
宗像大社の中津宮です。
大きな案内があるので安心。
というか、
僕は一度参拝しているので、
道順は簡単です(笑)
砂浜からフェリーを
間近に見られるなんて
なかなか出来ないな~。
船上から見た中津宮と
その背後の御嶽山(みたけさん)。
御嶽山山頂に鎮座する御嶽神社は、
中津宮の荒御魂(あらみたま)を
祭っています。
境内入口。
鳥居の右下には
「奉献大鳥居一基」の文字が
砲弾に刻まれていて、
時代をよく表していますね。
その横には、
「明治三七八年戦役出征軍人名」
の文字もあります。
要するに明治37年から38年にかけて
行われた日露戦争の時に
出生した方々の奉納という事ですね。
参道には四基の灯籠があり、
奥の2つは江戸時代の建立です。
右側の灯籠は、
天保十二年(1841年)奉納。
左側は、幕末近い、
萬延二年(1861年)奉納。
二の鳥居は一の鳥居よりも
かなり古そうですが、
建立年は読めませんでした。
古い手水鉢の向こうに見える
石橋の参道。
石の擬宝珠まで付けられ、
洗練された石橋ですが、
いつごろの建立なんでしょう・・・
真横から石橋を見てみると
橋桁の素朴さから江戸時代と推定。
(あくまでも私見です)
手水舎。
手水鉢の形がまた良いのですよ!
盃状穴なのか
石本来の穴の形なのか
分からないほどの
穴や凹みがある自然石で、
相当に古いもののようです。
御由緒。
御社殿へ。
楼門前。
奉納者の名前からして、
古そうな狛犬です。
こちらは吽形。
天保六年(1835年)の建立。
防州と書かれているので、
山口県の方からの奉納です。
また、反対側の台座には石工名も
書かれ、こちらは下関の方でした。
今まで西日本各地で見てきた
山口県の石工名を
見ることになるとは・・・。
やはり山口では腕の良い石工が
多く排出されているのかも知れません。
そして、楼門をくぐってすぐ右側に
発見したのが、こちらです。
楼門の裏にある
このブルーシートで覆われたものは、
形からして、間違いなく、みあれ祭の為、
田心姫命が沖ノ島から乗って来られた
神輿と、湍津姫命が乗られる神輿です。
これで、冒頭の「お泊り」(笑)が
確信出来ました。
拝殿。
参拝。
いつも以上に緊張します。
左が拝殿、右が本殿。
御社殿左側から撮影。
辺津宮(宗像大社)を
そのままの形でコンパクトにした
感じのご社殿です。
本殿は檜皮葺。
本殿右後ろから。
ここで注目したのが、
本殿の鰹木です。
2つあるうちの一つは丸型が三本一組、
もう一つは四角型が三本一組と
今までに見たことが無い
造りとなっています。
何かの意味があってこのような
形になっているのでしょうか・・・
未だに謎です。
御神木のイチョウ。
御朱印
社務所にて御朱印と
御朱印帳を授与していただきました。
三女神がお船に乗っているのが
何とも可愛らしいデザインですね。
御朱印帳を開くと、
天照大神の神勅と
その意味が書かれています。
令和の天皇陛下も
宗像三女神に守られて、
ご活躍中ですね。
そう言えば、
拝殿にも天照大神の神勅が
扁額に掲げられていました。
中津宮の御朱印。
この後行く予定の
沖津宮の御朱印も
合わせていただきました。
ここでツーショット。
この後は天の川や
境内社の散策ですが、
内容が盛りだくさんなので、
後編へ続きます。
今日のユーモア大賞
拝殿前の灯籠にいたカマキリ。
灯籠に蟷螂(カマキリの日本語表記)
「トウロウにトウロウ」とは、
これいかに(笑)
ダジャレにしても秀逸過ぎますよ!
僕たちに話題と笑顔を提供してくれた
蟷螂(カマキリ)さんに感謝です。