陸奥記念館(山口県周防大島町)
金魚のしっぽ
周防大島は、
古事記や日本書紀において、
イザナミ、イザナギが産んだ島の一つ。
パンフレットに書かれているように
島の形からして、
「金魚」に例えられるそうで、
そんな金魚のシッポの先端にあるのが、
「なぎさパーク」と呼ばれる公園で、
この一角に陸奥記念館はあります。
周防大島町観光MAP。
右端が、金魚のしっぽ(笑)
その金魚(周防大島)と
瀬戸内海を挟んだ左側の
口先に位置する柳井市は、
「金魚ちょうちん祭り」で賑わう町。
幕末の150年ほど前、
青森のねぶた祭をヒントに
始まったというお祭りの由来は、
大島の形と何か関係無いようですが、
周防大島(金魚)が引き寄せた?
お祭りかも知れませんね。
陸奥記念館へ
約1時間半のロングドライブで、
陸奥記念館に到着。
金魚の口からシッポの端までは、
思った以上の距離がありますね(笑)
古い案内板。
以前は「陸奥公園」の名だったようです。
陸奥記念館のエントランス。
何となく戦艦陸奥の艦首部分を
想起させてくれますね。
真横から、ひまわりと共に・・・
館内
陸奥記念館となぎさ水族館の
共通チケットを購入し館内へ。
館内図。
案内。
陸奥記念館とは・・・
「戦艦陸奥は、昭和18年6月8日、
周防大島町伊保田沖、
柱島水道に警泊中、
謎の大爆発を起こし沈没、
総員1471名のうち、
死者1121名、
生存者はわずか350名に
すぎませんでした。」
「1970年から8年間の作業の末、
遺骨、遺品、主砲など船体の75%が
引き上げられました。」
「陸奥記念館は引き揚げにより
回収された物品や、
全国から寄せられた、
遺品、資料等の展示、保存に努め
乗組員の冥福を祈ると共に、
戦争の悲惨さを後世に伝え、
恒久の平和を願い建設されました。」
(パンフレットを要約)
館内は遺品などが
特定されるもの等を除き、
写真撮影はOKです。
ところどころに花が飾られた館内。
こちらは陸奥の艦首を象っています。
陸奥沈没地点と
陸奥記念館の位置関係。
陸奥が生まれて沈没までを
パネルや回収品で案内されています。
建造中。
沈没の遠因・・・
陸奥が謎の爆沈について、
その理由は特定されていませんが
この展示を見て、その遠因の一つが
解った気がしました。
進水当時。
何の変哲もなく堂々としていますが、
次のパネルで、問題が・・・
「軍縮条約交渉開始までに完成させねば
廃棄の運命にあった陸奥は、
日夜をついでの突貫工事で、
大正10年10月24日
横須賀海軍工廠で竣工した」
このように書かれています。
Wikipedia調べると、
「実際には工事を急ぐため
装甲板の一部は
不良とされたものを使用しており、
測距儀なども備品装備が間に合わず、
公式試験を省略し、
半完成のまま海軍に引き渡されている。」
実際、竣工引き渡し時でも
完成度85%位だったとか・・・
もややこの時点で、
安全性などは蚊帳の外(汗)
「だから沈んだのかも・・・」
と妻と二人で納得・・・
「煙突からの排出物は、
艦が走れば後方に流れるはずであったが、
これまでに例のないほど多量だった。
しかも陸奥は高速で走る。
高速で走ると檣楼(しょうろう)の
直後の空間の気圧が下がり、
油煙が巻き指揮官たちの目を刺激し
視力がにぶったり
計器類に油がねばりつき、
亜硫酸ガスのためサビが出たり、
カゲロウが生じ、測距の確度がにぶるので
応急の策として逆流を防ぐために
第1煙突にカバー(冠)がつけられた。」
「第1煙突にカバー(冠)をとりつけたが
それでも十分でなく外観もよくない。
そこで大正13年基礎部は
もとの位置のままで
中途から後方にねじ曲げた。
このため2本の煙突の上端は、
くっつくほど接近した。
結果は上々で、曲がった煙突は
流れるような形象がスピード感を与えた。
力強くそそり立つ檣楼と
曲がった煙突との対照が力量感を与え
外観的にも美しさを示し
国民に広く親しまれた。」
そして・・・
爆沈。
煙突問題は恐らく氷山の一角で、
他にも多々問題はあったはず。
(軍事機密ですからね)
御巣鷹山での
日航機の墜落事故が
それ以前の尻もち事故で、
与圧隔壁が完全に修理されず、
(手抜き工事)
それが与圧隔壁を破壊し墜落した
原因の一つだったことなど、
やっつけ仕事が、
思わぬ悲劇をもたらす事は、
多々あります・・・
陸奥の乗組員の方々の
改めてご冥福を祈ります・・・。
館内にあった絵。
引き揚げられた時の尾部でしょう。
その他の展示
限られた時間でしたが、
速攻でその他の展示も拝見(笑)
お亡くなりになった乗組員全員の
お名前が書かれた慰霊塔。
ビデオコーナー。
二階部分から見た館内。
士官室のモデル。
内部は寝台車のよう・・。
喚鐘
ロビーに出ると
置かれているのが、2つの鐘。
大きさからして「喚鐘」ですね。
「流れ陸奥の鐘」という名前で、
群馬県のお寺に所蔵されている
陸奥の部材と陸奥内で使用されていた
ハンドルを溶鋳して恒久平和を願い
造られたものです。
こちらの小さな鐘は、
「平和祈念の鐘」
陸奥の砲弾で造られています。
今日の不思議発見
館内出であった潜水服。
妻は身長159cm
潜水服を着る人は・・・
身長2m50cm?(笑)
不思議ですね~!