長崎歴史文化博物館(長崎市)前編

 

焦点を絞るという効能

肥前さが幕末維新博覧会でも

随所にその効能を体験した、

「焦点を絞る見せ方」。

ここ長崎歴史文化博物館においても、

その手法は徹底されていました。

「長崎の歴史的な一押しは何ですか?」

そんな質問への回答が、

ここに凝縮されていたのです。

長崎歴史文化博物館は、

博物館運営のプロ集団(会社)に

展示方法など全てを

業務委託して運営しているとの

情報を得ていた僕ですが、

やはり素人(役所の人など)が、

頑張って運営するのではなく、

やはり餅屋は餅屋、

その道のエキスパートに任せる事で

素晴らしい効果を出しているのが

強く感じられました。

館内へ

長崎奉行所から入って

館内に向かった僕たちですが、

長崎奉行所を通らなくても

一階の駐車場から直接入る事も出来ます。

入口。

エントランス。

ここの正面で入場券を買います。

右へ行けば、長崎奉行所ゾーン

左が今回入る歴史文化ゾーン。

ここで目を引くのが、

長崎名物、「くんち」の神輿。

長崎の「くんち」は、

諏訪神社の祭礼として

有名ですが、長崎では他の神社でも

「くんち」をやっている所はあります。

現存する最古の長崎くんち神輿です。

明治11年以降は、

柳川市の三島神社に

置かれていたものだそうですが、

何故に「くんち」の神輿が、

福岡県に置かれていたのでしょうか?

その疑問が頭にこびり付き、

三島神社に行って、

調べてみたくなりました(笑)

ここから展示室へ。

本来なら縄文時代とか、

その地方最古の歴史から

紹介していくのが普通ですが、

長崎の場合はちょっと違います。

いきなり地球儀!!

長崎歴史文化博物館は、

古代ではなく、戦国末期、

「西洋との出会い」からの

スタートなのです。

キリシタン大名、大村純忠が

長崎をイエズス会に寄進したときの

書類と説明。

天正遣欧使節がローマへ行った話。

江戸時代の朝鮮通信使などの展示。

ポルトガルとの断交と

オランダとの交易について。

江戸幕府は、

当時、ポルトガルはキリスト教布教と

貿易は一体化され、

植民地狙い(これが主目的)だったことで

断交し、

キリスト教布教と貿易を切り離していた

オランダと手を結んだようです。

まあ、これがあったからこそ

今の僕たちがあるという訳ですから

相当な英断だったと言えます。

短編映画も上映されて、

目と耳、五感から歴史を体験。

貿易の仕組み。

ここも小学1年生でも読める、

フリガナ付です。

銅は大切な輸出品でした。

輸入品の数々。

ラクダの頭も輸入されていた…

いいえ、生きたラクダそのものが、

輸入されていました。

体験コーナー。

匁とは?

一万円=6匁。

鰻丼が3匁なので、5千円くらい。

高級店だったらそんなものでしょう(笑)

中国との関係。

唐寺について。

小学1年生向けの文章に

たびたび感動(笑)

唐通事とは、中国語の通訳の事。

有名な唐通事のお墓に行ったばかりで、

何だか唐通じに親近感がわきます(笑)

そのお墓がこちら。

風頭公園内の坂本龍馬之像近くにある、

著名な唐通事、

林(りん)、官梅(かんばい)家の墓。

次に、中国人が伝えた石橋の技術の紹介です。

石橋の作り方。

骨組みをしっかり作っていたんですね。

こちらも体験コーナー。

ジオラマ。

そして、ジオラマ自体も

体験コーナーになっています。

小学生の修学旅行生たちが

ここに群がっていたので、

この写真は時間をおいて

撮り直したものです(笑)

しかし、群がる=興味を持つ事。

素晴らしいジオラマって事ですね!

小学生がやっていた画面。

クイズ形式です。

次に、くんちについての展示があります。

昔の町のしくみ。

自治、貿易、祭礼、警備

この四つの役割分担が

分かり易く図面にされています。

貿易、警備(長崎警備)などは、

長崎ならではのもので、

他の町では無い事ですが、

祭礼(くんち)が貿易の

利益を使って盛大に行なわれたのは、

日頃、貿易や警備に協力させられている

町の人々の鬱憤ばらしの意味も

大きかったそうです。

へ〜そうだったのか〜!

いわゆる

「ガス抜き」という奴ですね(笑)

ここで大注目したのは、

「長崎の町人はみな、貿易で得られた

利益の一部を長崎奉行所から

ボーナスとして貰っていた」

という一文です。

祭りと並んで、お金は、

人の心を動かす手段でも

あったのでしょう。

僕もお金で心が動きますから(笑)

くんちで使う町のシンボル「傘鉾」

ここからは陶器と刺繍の展示です。

長崎には沢山の窯があったようです。

しかし、多くの窯は

無くなっています。

亀山社中の名前にもなった

亀山焼もありました。

中国人によってもたらされた

立体的な刺繍。

幾つかの展示品。

龍の髯は布から外に

飛び出していました!

ここまででも随分見どころが

多かったのですが、

これからが本番(笑)

中編へと続きます。

 

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