長崎歴史文化博物館(長崎市)後編
長崎の偉人達
幕末維新と言えば、
薩長土肥というように、
薩摩(鹿児島)、長州(山口)、
土佐(高知)、肥前(佐賀)、
この四つの県の活躍と偉人たちを
思い浮かべます。
しかし、江戸時代、肥前には
長崎県も含まれていたので、
正しくは、肥前(佐賀、長崎)となります。
なのに
「肥前=佐賀とはけしからん!」
と長崎県の方から
お叱りを受けても仕方ないくらい
肥前は佐賀県と勘違いされ続けて
150年経っています(汗)
そんな長崎県人のもやもやを
吹き飛ばすようにここでは
肥前=長崎(笑)の偉人が、
クローズアップされていました。
中編で書いた、
高島秋帆(しゅうはん)も
その一人でしたが、
さらに長崎出身の偉人は続きます。
上野彦馬撮影局
ここからは、幕末から明治の写真家、
上野彦馬をフューチャーしています。
パネルでの案内。
とにかくこの人が、長崎にいたからこそ
幕末維新の志士たちは、
有名になれたと言っても
過言ではありません。
あらゆる有名人を撮影した
凄い人ですから。
そんな上野彦馬の写真スタジオが
再現されていましたので、
ここで僕だけの有名人を
維新の有名人と共に
撮影してもらいました。
上野彦馬撮影局で、
坂本龍馬とツーショットの妻。
妻は僕にとって超有名人ですから(笑)
出来上がった写真は、
一分間、ここに飾られます!
写真とともにツーショット。
上野彦馬のカメラ。
そう書いてあるので、
それを撮影したのですが、
こんな感じになっていました…
先ほど妻とツーショット撮影した
坂本龍馬さんが
ガラスに写り込んで
彦馬のカメラと龍馬が一体化しています!
どんだけ仲良しやねん、
彦馬と龍馬(笑)
上野彦馬が西南の役の
田原坂の戦いの直後、
戦場カメラマンとして撮影時に
携帯していた原版入れなど。
何と、携帯暗室(現像する場所)までも
準備していたそうです。
これを見て思い出したのが、
戦場カメラマンの渡部陽一氏の事。
以前、あるテレビ番組で、
渡部氏が取材に持っていく荷物を
紹介していました。
それがもう驚くほど膨大なもので、
そんなお荷物は邪魔だろうという
思いしかしなかったのですが、
ここで僕は上野彦馬の携行物を知り、
恐らく渡部氏は上野彦馬の西南戦争での
大荷物のことを知っていて、
「撮影には妥協無し」という精神を
受け継いでいるのではないかと
想像したのでした。
その後は、また展示物の観覧です。
勝海舟の作品
松図。
英語で言うと、
ピクチャー オブ パイン
なんですね。
パイナップルと松ぼっくり
似ているし(笑)
有名人と業績の紹介も
子供向けにも楽しいあみだくじ式です。
鉄砲の変遷の紹介。
そして、僕がここで初めて知ったすごい人、
本木昌造(もときしょうぞう)。
近代活版印刷の先駆者で、
ペリーやプチャーチン来航の折、
通訳を務めています。
肖像画。
昌造だけに(笑)
多くの学問に精通していたようです。
活版印刷体験。
こちらは、
モールス信号体験。
明治初期からの長崎県の版図の変遷。
一時期は佐賀県も全部長崎県に
含まれていたのですね。
要するに肥前=長崎県オンリーの図式です。
さすがにこれには佐賀の人は
納得出来なかったのでしょう。
ここで、二階展示室の観覧は終了。
このあとは三階へ。
刀剣展と押形展。
刀剣はわかりますが、
押形って、何?
刀の魚拓みたいなものか〜
なんて、気軽に考えていたら
なんと、写真では分からない
作り手の息吹まで、細かく再現出来る
驚きの代物でした!
イメージキャラクターは、
織田信長さん。
テレビで見る織田信長は、
よくマントをしていますが、
ホントにそうだったのでしょうか?
まるでダースベイダーみたいにも
見えますが、
ダースベイダーのあの姿は
織田信長からヒントを得たのかも?
多くの刀剣とその押形が並べられています。
その中には、凄いものが。
ダースベイダー、
いいえ織田信長さんの刀!!
説明によると、この刀は、
織田信長が比叡山攻めの時に
帯刀していたそうです。
こちらは、江戸末期のもの。
これも凄いですよ。
活版印刷の父、本木昌造が、
注文したものです。
僕にとって「おまけ感」の強かった
刀剣展と押形展ですが、
興味深いものが見られて大満足!
しかし、刀剣って、女性ばかり
観に来ているのは、やはり
刀剣女子が多いからでしょうか(笑)
エピローグ
今回の長崎の旅は、
いつもと違う旅。
神社、巨木、城の三本立てではなく、
上野彦馬、坂本龍馬の二本立て(笑)
「場所」からの切り口が多かった中、
「人」からの切り口の旅は、
実に新鮮で、楽しいものでした。
長崎の著名な観光名所、グラバー邸、
稲佐山、中華街、その全てをパスしても
有り余る長崎の魅力は尽きません。