南宗寺(大阪府堺市)伝説の家康の墓

 

徳川家康の墓?

「大坂夏の陣で討死した

徳川家康の墓が南宗寺にある」

これが、

南宗寺参拝の動機です。

話の続きとして、

その後の家康は、

影武者だったと言うことなのです。

勿論、

「そんなはずは無いし、

駿府城で亡くなっているし、

家康のお墓は日光東照宮だし!」って、

ほとんどの人は思いますよね(笑)

ただ、僕たちは、

家康が隠居城として考えていた

静岡県の泉頭城いずみがしらじょうを訪問した際、

富士山を間近に眺められ、

湧水も豊富な隠居にはもってこいの

泉頭城での隠居を

家康が急遽取りやめにし、

駿府城を隠居城にしたことと

南宗寺のお墓とが、

なんか関連している気がしていたのです。

影武者だったから大きな城の

奥深くに「隠したい」という

側近の思いがあったのかも

知れませんからね(笑)

参道

三好長慶銅像、甘露門を後にして、

いよいよ家康のお墓がある

南宗寺の中心部へと向かいます。

清々しい新緑。

春のモミジが紅葉(こうよう)し、

気分も高揚(こうよう)(笑)

案内。

右手に何やら

お堂のようなものを発見。

なんか大切にされている感満載ですね!

扁額。

「佛説摩訶般若波羅蜜多心教」

こう題されていますが、

僕には何のことやら・・(汗)

供花の素晴らしいこと!

これなら仏像様も

お喜びになられているでしょう!

仏殿。

扁額。

拝観

参道の突き当たりが、

拝観する「中心部」です。

ここから中は撮影禁止。

なので、

パンフレットの力をお借りします(笑)

まずは、案内から。

「境内には、利休好みの茶屋

「実相庵」があり、

利休の師紹、武野紹鷗遺愛の

「六地蔵石燈篭」があり、

利休遺愛の

「向泉伝来袈裟形手水鉢」と

「椿の井戸」があります。」

そして、核心はここ・・

「境内には他に大坂の陣で討ち死にした

徳川家康の伝説の墓があります。」

お〜書かれていますね!

家康さんのこと!

僕たちは、下の「入口」からお邪魔し、

「現在地」「受付」で入山料を納め、

ここから、

ボランティアガイドと共に散策開始。

以下、ガイドさんの案内と

僕の記憶の糸を辿ってみます。

「坐雲亭」

元和九年(1623)七月

徳川家光の征夷大将軍宣下の時期、

ここに秀忠、家光の「御成」が

あった場所で、

二人の御成と東照宮が鎮座していた事で、

家康の墓が真実味を帯びることになります。

「千家一門の墓」

千利休を始めとして、

表千家、裏千家、武者小路千家の

お墓(供養塔)が整然と並んでいます。

「三好長慶一族の墓」

長慶の父、元長などの墓(供養塔)

「伝説の家康の墓」

ここがクライマックス(笑)

お墓は、

戦災で焼けた東照宮の

本殿が建っていた所で、

礎石のようなものが

残されています。

確証はないものの、

可能性はあるのかもですね。

その後石庭などを巡り、仏殿内へ。

上の写真、仏殿の天井に描かれた

八方睨みの龍を見学。

確かにどこに逃げても?

睨まれました(笑)

撮影出来なかったにも関わらず、

ボランティアガイドさんのお陰で、

南宗寺の記憶には大いに残ることになり、

心から感謝しております。

境内社など

外に出てまずやったのはこんな事です。

記念のツーショット(笑)

東照宮の唐門。

国指定重要文化財です。

鐘楼。

大辨才尊天。

石橋を渡り本殿へ。

芸能の神様に参拝。

南宗寺散策は、

ここまでで全て完了し、

次なる目的地、

三好長慶の墓所がある

八尾市の真観寺へと向かいます。

 

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