2018/04/24

猫尾城(福岡県黒木町)前編

 

お城好き戦国好き

僕がお城に興味を持ったのは

この年(2017年)の1月、

姫路城に行ったころからでした。

そして、その4ヶ月後、

ここ黒木町にある「猫尾城」を

訪問したのです。

この日のメインは

「黒木の大藤」を初めとする

3カ所の「藤棚散策」だったのですが、

この猫尾城が「大藤のついで」に行ける

ちょうど良い場所にあったのは

何かのご縁かも知れません。

そして、1584年、

この猫尾城を落城させた

大友軍のツートップが、

この日、旅の最後に訪問した

「柳川城」の城主であり

柳川藩の藩主でもある立花宗茂の

実父、高橋紹運と

義父、立花道雪だったことを知り、

ますますお城やそれにまつわる

戦国武将の相関図に

興味が湧きまくった僕です(笑)

猫尾城へ

黒木の大藤に感動した後、

車で10分ほど走り猫尾城に到着。

綺麗に整備され、

広々とした猫尾城の駐車場。

トイレのデザインも

なかなか「武士」センスありますね(笑)

案内版も歴史や

見取り図が分かり易く、

素晴らしいものです。

三の丸から本丸目指して歩きます。

本丸を下から見上げると、

石垣が残っていて、

思わずテンションが上がるのは、

僕がお城好きになったから(笑)

お城に何も興味なかったころは、

「あそこまで歩くのか〜

あ〜疲れそう」

なんて逆にテンションが、

下がったかも知れません(笑)

本丸の石垣。

古いタイプの石垣が、

しっかりと残されています。

山の頂上、本丸跡。

城跡にありがちな神社(笑)

神社正面と石垣。

彦山神社にお参り

福岡県指定史跡の案内。

彦山神社の拝殿(左)と本殿(右)。

これはここにあった建物の

礎石でしょうか?

気になりますね。

神社の境内から本丸を臨む。

壮烈な死を遂げた武士への鎮魂。

1584年の落城時、城主黒木家永は、

家臣が討たれてしまい、残る者がいなく、

わずか13歳の娘の介錯で、

切腹したと言われる、

凄まじい歴史も詰まった

猫尾城なんです。

次に見たのは、

「黒木城」の石碑。

黒木城=猫尾城は、

南北朝時代、

南朝方のお城だったことで、

「勤王」と書かれているのでしょう。

北朝と南朝、正当なのは

南朝とされていますからね。

そして、石碑下にある

「護国神社」と書かれた

石がとても気になります(笑)

こちらは戦国とは無関係の石碑。

精神修養と農業の発展を目的に

作られた地元青年の組織があったそう。

北側の景色。

昭和13年に建てられた

「黒木城」の碑。

昔はやはり「黒木城」と

呼ばれていたんですね。

本丸から馬場方面に下ります。

なかなか良い感じの石垣を発見!

初期の算木積みのように見えます。

本丸下あたりから見た、

黒木の大藤がある方面の景色。

本丸で彦山神社バックにツーショット。

ツツジが咲いていたので、

こんなショットも撮影。

この後は、馬場と二の丸方面を散策します。

 

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