仁王門のクス(福岡県糸島市)

 

お互いが存在感を高め合う

「仁王門のクス」

こう言えば、

あ~寺院にある仁王門の近くに

クスノキがそびえているんだな!

誰しもがそう思うでしょう。

もちろん、正解です(笑)

こうやって、お互いの存在を

ミックスしてネーミングされるだけで、

双方ともに引き立つような気がします。

僕は、ここに行く前、

仁王門の本体であるお寺は、

既に廃寺になった事を知っていました・・

だからこそ、ただの偶然でこの2つは、

存在していたんではなく、

やはり後世の僕たちに何かを伝えるために

お互いが残ったのだと感じていました。

天変地異や戦争をもくぐり抜け、

奇跡的に今に残ることは、

多くの幸運が重なっての事。

そんな「幸運」にあやかれるのが、

仁王門のクスに違いありません(笑)

仁王門とクス

一貴山川の中流付近に

のどかな集落が見えてきます。

その集落の入口付近にあるのが、

仁王門とクスノキです。

やはりお互いの存在があって、

この素敵な風景になっています。

案内によると

この集落は、

その昔、夷巍寺(いきじ)という

お寺となっていて、

12もの僧坊を持つ糸島随一の規模の

お寺であったそうです。

まずは、仁王門に参拝・・・?

門に参拝とは珍しいですね(笑)

しかし、今はお寺はなくなり

この門だけですから、

その長寿に畏敬の念を表します。

ちゃんと本堂と同じような

鰐口(わにぐち)が装備されています。

参拝の後は門の左右にいらっしゃる

「仁王像」にご挨拶です。

阿形の仁王像。

最初に見た説明によると

室町時代の作品です。

吽形。

やはり「わらじ」奉納の習慣は、

ここでも同じです。

老人クラブの方々が、

夷巍寺の遺構を描いてくださっています。

仁王門以外に寺の痕跡は、

かなり存在しているようですね。

仁王門に掲げられた由来。

外にあった新しい案内とは少し違って、

仁王像の作風は新しいと書かれています・・・

地球の46億年の歴史からすると

室町時代は「新しい」の範疇なのかも(笑)

屋根の形からすると

この仁王門も昔は茅葺きだったのでしょう。

クスノキ

仁王門の参拝を終えたら、

次は、巨樹のクスノキです。

集落内側から撮影。

大きさの比較写真。

見事な枝ぶりで、

まだまだ長生きしそうな樹勢です。

一貴山川からの遠景。

ここが戦場となり

お寺が荒廃してしまったとは

想像がつかないほど、のどかな光景に

妻と二人して癒やされました。

気になる石碑

仁王門の横、クスの根本には、

変わった形の石碑があります。

頭頂部だけがせり出して、

アシカの顔のようにも見える

デザインの石碑は、

元文二年(1737年)の

建立です。

碑文の最後は「・・・供養」と書かれていて、

何らかの供養塔のようなものなのでしょうか。

 

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