2018/08/26

新田神社(鹿児島県薩摩川内市)

 

薩摩国一宮(さつまこくいちのみや)

一宮とは超簡単に言えば、

その地域で一番位が高いとされる

神社のことです。

今から1000年くらい前に

決められたとか、その前からとか

諸説ありますが、

現代の日本にも昔の「国」ごとに

一宮があります。

その一宮を巡って、争いも起きました。

俺が一番!

いや一番は俺のところだ〜!

なんて、人間はいつでも

一番が大好きです。

そんな薩摩国の

一番手争いをしていたのが

今回書いている新田神社と

指宿市に鎮座する開聞(ひらきき)神社で、

現在では薩摩国の一番(一宮)は、

この二社ということになっています。

同タイムで一位、

金メダルということでしょうか。

全国の神社の繁栄は時の政権や

地元の有力者によって、

大きく左右されてきました。

キリシタン大名のもとでは

神社が焼き払われたり、

政権に対抗する組織を

応援していた神社は

一宮を剥奪されたり、

源氏と平氏の戦いで

平氏が負けると平氏側の神社が

冷や飯を食ったり

神様も人間に翻弄されて

ほんとうに大変ですね。

そんな人間達でも守ってくれる

愛すべき神様たちだからこそ

いつも身近に感じるのかも知れません。

新田神社へ

新田神社というから、

僕はてっきり鎌倉時代から

南北朝時代に

南朝方(後醍醐天皇側)として戦った

新田義貞(にったよしさだ)と

関係が深いのかと思いきや

全く無関係な神社でした。

名前の由来は

調べ切れていませんが(笑)

新田神社の二の鳥居と太鼓橋(左)

これを見ただけでも

参拝するのがワクワクしてきます!

やはりこの鳥居も黒と白のコントラストが

南国の神社を演出しています。

神社前の案内板。

この時には気づきませんでしたが、

新田神社の上に

「可愛山陵」(えのさんりょう)とあり、

実は、ここ神様のお墓だったのです!

可愛山稜のお話は

新田神社の次に書く予定です。

鳥居から見た太鼓橋

昔は降来橋という橋で、1602年、

島津義弘によって

神社の神殿が改修された時、

この橋の欄干に

青銅製の擬宝珠が付けられたそうです。

その橋は明治25年に現在の

太鼓橋に取り替えられ、

擬宝珠は神社の宝物殿に保管されています。

そして、太鼓橋の手前には、

このような石碑がありました。

案内によると二の鳥居の手前にあった

元禄13年(1700年)に

作られた石橋を寄進した人の

名前が刻まれた石碑の一部で、

道路拡張のため昭和43年に

撤去されたそうです。

何かもったいなかったと思いますが、

道路も大切だから仕方が無いか….

太鼓橋、とても良い雰囲気です。

ここからは階段で

山の上の社殿を目指します。

階段を登ることが出来ない方や、

通りすがりの人向けに

参拝出来る社(やしろ)と

賽銭箱も準備されています。

国弊中社新田神社の文字が刻まれています。

明治になってからの社格ですね。

階段左に鎮座する西門守神社

階段右に鎮座する東門守神社

狛犬ではなく、

神社が両脇の守りを固めているとは、

凄いことですね!

鉄壁の守りと言えるでしょう。

少し階段を登って振り返ると、

素敵な景色が見えます!

階段は続くよどこまでも(笑)

途中、右側に大クスがあります。

案内板の文字はほとんど消えていましたが、

冊を作ってとても大切にされています。

少し手前から撮影。

一旦平坦な場所があって、

ここからまた階段(汗)

新田神社の燈籠は形もいいし、色も綺麗で、

本当にカッコいいのです!

もうすぐ御社殿。

御社殿手前右側の御神木。

大樟(おおくす)です。

与謝野鉄幹、晶子夫妻が

新田神社に参拝した時に

詠んだ歌もありました。

地上2メートルくらいのところに

大国様の像が彫ってあり、

案内文によると

これは1600年、関ヶ原で退却の時、

島津義弘の影武者となって討死した

阿多長寿院盛淳

(あたちょうじゅいんもりあつ)が自ら彫り

奉納したものと伝えられています。

なるほど〜

ここでも関ヶ原は関係して来るのか〜!

島津義弘が1602年に

新田神社の神殿を改修したのは、

この方はじめ多くの忠臣達の

供養の意味もあったのかも知れませんね。

島津義弘は、

とても人情の厚い人だったらしいですから…

この燈籠の灯りで家臣たちの魂も

安らぐことでしょう。

そして、反対側にも大きな樟があり、

まるで、左右の御神木が、

神様の番人みたいな感じになっています。

手水舎の前に絵馬が飾られているのは

珍しいですね。

勅使殿と拝殿。

参拝はこの勅使殿前で行います。

この奥には社務所があり、

そこで御朱印が貰えました。

ご朱印には「神亀山」の印が。

神亀山は新田神社が鎮座する山の名前です。

上から見ると亀の形をしているそうで、

この山全部が新田神社のご神域らしいです。

振り返ってみると

左右の御神木の存在感が凄いですね!

ここで僕たちもツーショット。

僕の大きな顔で

右側の御神木が隠れている〜(汗)

新田神社、僕の大好きな巨樹に囲まれた

緑と朱赤のコントラストが

とても素晴らしい神社でした。

今日の癒し

拝殿前の狛犬の顔に癒されました。

鋭い視線と姿勢で子供を抱え、

作者の魂が込められた迫力があります。

子供を守るという意味なのでしょうか。

説明によると安産に大変霊験あるそうです。

もちろん僕も狛犬の頭をなでました?(笑)

 

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