2018/01/22

市来(いちき)神社(鹿児島県いちき串木野市)

 

○○の神様

神社には色んな神様がいて、

「縁結びの神様」

「学問の神様」

「商売繁盛の神様」

「ロマンスの神様」?(笑)

そんなご利益別神様の中でも

ちょっと珍しい神様に出会いました。

徳重神社近くを散策

珍しい神様に会いに行く途中、

徳重神社付近の路地にあった看板です。

前回のブログで、

復興された妙円寺を探したが

結局見つけきれなかったことを

書きましたが、

案内板を見ても妙円寺は

表示されていませんでした。

(まだ行くのをあきらめていなかった…笑)

そして、細い路地にこのようなものが。

廃仏毀釈で捨てられたであろう

仁王像と案内板。

やはり、ここも廃寺になっていました。

しかし僕が注目したのは

「海軍中将 有馬正文」の文字!

この奥にお墓があるということで、

行ってみましたが、

「有馬」という名前のお墓は

たくさんあっても

有馬中将のお墓は

見つけきれませんでした。

これは僕の有馬中将に対しての気持ちが

そうさせたのかも知れません。

その気持ちとは…

有馬中将(戦死前は少将)は

案内板にも書かれているように

「特攻の先駆け」とされています。

特攻の始まりは正式発表によれば

昭和19年10月25日の敷島隊ですが、

その10日ほど前、有馬中将は

一式陸攻(いっしきりっこう)という

中型の爆撃機に乗って操縦士に

体当たりするように命じ、戦死したことで、

上層部は特攻を発令する決断を

下したのでそう呼ばれています。

人道に外れる戦法とは思いますが、

僕は特攻自体が

意味が無かったとは思いません。

戦後のアメリカやその他の国々の態度を見ても

英霊達の残してくれた功績は

大いにあると考えています。

ただ、推定7名(定員)もの搭乗員を

巻き添えに特攻の先駆けとなった

有馬中将を尊敬することはどうしても出来ません。

操縦士も上官の命令は絶対ですから

「死ね」と言われれば

「喜んで!」と言うしか無いのです。

飛び立つ時に、

体当たりなんてする予定でなかった、

生還を期して出撃した若者に

空中において「今から死ね」と

命じるのは残酷過ぎます。

特攻の先駆けになるなら

一人で逝って欲しかった…

また、話しが長くなってしまいましたが、

中学生のころから僕は

この時の一式陸攻の搭乗員の悲劇が

頭を離れません…

市来神社へ

日置市の北に位置するいちき串木野市。

ここに市来神社は鎮座しています。

境内入り口の鳥居。

一番上の笠木(かさぎ)が黒で、

その下の島木(しまぎ)が白という配色は

鹿児島と、宮崎に多く、

この市来神社も地域スタンダード?な鳥居で、

僕はこれを見ると、「あ〜南国に来たな〜」

という感慨が湧きます。

御由緒書きなどの案内板。

ガラス張りだと反射して

写真は撮りにくいですが、

耐久性があり文字も薄くならない

利点がありますね!

サイトを見てみると

ここに書いてある御祭神、

熊野三神(案内板右から三柱の総称です)と

菅原道真以外にも

八咫烏(やたがらす)、

歳徳大神(としとくのおおかみ)も

名を連ねていています。

朱塗りの御社殿がとても綺麗です。

狛犬には注連縄(しめなわ)が巻かれていて、

僕は土佐犬の横綱を思い出しました(笑)

吽形の狛犬も注連縄で凛々しい姿です。

そして、菅原道真と言えば牛。

牛も注連縄でおめかししています。

そして、

拝殿で参拝後中を見てみると

目についたのが

日本サッカー協会(JFA)の

シンボルマーク、八咫烏!

神武東征の時、

天皇の道案内をしたのが八咫烏。

だから勝利に導くという意味もあって

JFAのシンボルになっているのかも

知れません(調べていないです)

また、実物は見ていませんが、

絵馬にもJFAのシンボルマークの

八咫烏が描かれています。

鎌倉時代この地域を支配していた

市来氏が蹴鞠(けまり)の名手だったそうで、

それが今のサッカーの神様になった

ルーツのようです。

プロサッカー選手で

鹿児島県出身の遠藤選手や大迫選手の名前もあり

ここに参拝しているようです。

また市来神社に参拝して、

優勝など好成績を残した学校もあるそうで、

先ほど書いた遠藤保仁選手も

ワールドカップ南アフリカ大会で、

自らもフリーキックを決め、

決勝ラウンドに進めたお礼に

サイン入りボールとブブゼラ(何か懐かしい〜)を

奉納していました。

「サッカーの神様」市来神社、

かなり凄いご利益があるようです。

「学問の神様」菅原道真とともに最強ツートップで(笑)

まさに文武両道の神様と言えます。

その後境内を散策。

御神木となっている権現どんの椨(タブ)

こちらは、

「連理の木」と「子授け神」

案内板によると

「二本の木が連なって理(木目)が通じた様が

吉兆とされ、「縁結び」「夫婦円満」などの

象徴としての信仰の対象となっている。」

そうです。

また、この木の根元付近には子授け神が鎮座していて、

子授け、安産のご利益があるそうです。

説明文アップ写真。

このあと、社殿横の参道を歩いてみました。

横?参道の裏入り口付近には

このような碑がありました。

昭和20年8月15日に戦争が終わり、

その敗戦からの復興を願いつつ

国の礎になろうと自刃(自決)した

日置市出身の野崎欽一他13名を心に刻む碑で、

碑文には「人柱」という表現が使われていました…

国の行く末を思う烈士たちに合掌。

ここでもツーショットで〆!

今日の癒し

徳重神社から市来神社に来る途中立ち寄った

地元の食堂のランチ。

腹ぺこだった僕たちの胃袋を

癒しまくってくれました〜(笑)

 

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