能古島・檀一雄「もがり笛」句碑

 

神宿る国有林

能古島の森を歩いていて、

こんな看板を見つけました。

「ここは残島国有林です」

国有林の正式名称は、

能古島じゃなく「残島」なんだ〜!

と、ちょと感動(笑)

島に鎮座する白髭神社の案内によれば、

能古島(のこのしま)という名前は、

神功皇后が、

「住吉大神の神霊を残した島」

ということから、

「残島」(のこのしま)との名称が、

付けられたとありますから、

神宿る国有林の漢字は、

変えないで貰いたいものですね。

檀一雄「もがり笛」句碑

友人K氏主催、

「黒田官兵衛孝高の水軍」の

講演は午後からの予定ですが、

その前に、K氏が急遽、

句碑を巡るツアーを企画された事で、

参加者達の能古島滞在は、

爆発的に充実する事に!

島の北端、

也良崎万葉歌碑から

島の中程にある

檀一雄「もがり笛」句碑を目指します。

アイランドパーク正門前を通過。

ちゃんと案内もありますね。

そして少し行くと、

いきなりレトロな光景が!

お〜これは昭和半ばの

オート三輪じゃないですか!

円形のステアリングじゃなく、

オートバイと同じく、

棒状のハンドルで運転というのが、

オート三輪の萌えポイント(笑)

思わず記念にパチリ。

森への入口。

男女が背を向けた像が、

僕たちをお出迎え。

テーマは何でしょうか・・

おしくらまんじゅう?(笑)

K氏の後を追い僕たちも森中へ。

このあたりが冒頭の

「残島国有林」発見現場です(笑)

その後、

程なくして句碑に到着。

檀一雄「もがり笛」句碑。

「モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん」

碑文について。

K氏もお話しされていましたが、

檀一雄が死の五日前に書いた

絶筆なんですね・・

K氏の熱弁を聞くご一行様。

解説によれば、

若くして亡くなった

檀一雄の最初の妻、

律子さんを小説とした

「リツ子・その愛」

「リツ子・その死」の舞台となったのが、

対岸に見える

糸島半島の小田浜海岸だとか。

句碑から糸島半島を望む。

冬になれば、

もがり笛が聞こえて来るのでしょうか・・

檀一雄と律子さんの魂は、

今もこの景色を眺めているに

違いありません・・・

四阿(あずまや)

能古島縦走という感じに、

ひたすら森の中を突き進む

僕たちご一行様。

枯葉がクッションになり、

思った以上に歩きやすい森です。

途中見つけた

ミルフィーユ状の石。

もしかして、腹が減ってくると

石ころもケーキに見えて来るという、

あの現象かも?

いつか石を締め付けて

砕いてしまうかも知れない木(笑)

いざなぎ石といざなみ石。

いざなぎといざなみの夫婦神が、

国産みをした「おのころ島」に

能古島があったという

伝説から建てられた

オブジェのようですが、

みんなそれには目もくれず、

一目散に休憩コーナーへ(笑)

四阿でお菓子とお茶で小休止。

この写真はP氏が撮ってくれています。

逆に僕がP氏の背中を撮影。

「能古島」Tシャツ、

めっちゃ気合いが入っていて、

カッコいいな〜!

曻地三郎しょうちさぶろう「コスモスの歌」歌碑

さらに西へ向け縦走。

森から道に出て、展望台方面へ。

足取りも軽く・・

いや適度に重く(笑)

白い彼岸花もあるんですね!

コスモス歌碑に到着。

「小さきは 小さきままに

折れたるは 折れたるままに

コスモスの花の咲く」

何故か作者の所だけ、

削り取られていますが、

K氏の解説書には、

曻地三郎しょうちさぶろう・しいのみ学園創立者」とあり

この一行のお陰で、

障害児教育に力を注いだ、

作者の生き様や弱者に対する思いが、

コスモスの一句に

凝縮されている事を知れたのです!

コスモス碑のすぐ隣に建つ、

もう一つの「コスモスの句碑」。

三郎って書いてあるので、

やはり曻地さんの関係かも?

但し、気になるのは、

「いろり村 森のピザ」の方?(笑)

コスモス碑から少し行くと

反対側の森のピザ入口に遭遇。

ここには炭焼窯もあるようです。

臨時バス

句碑の魅力を堪能した後は、

能古博物館目指し、

ひたすら歩くのみ。

バス停を通り過ぎるご一行様。

ここでアイランドパーク行きの

バスが来たのですが、その後すぐに

2台目の臨時バス(写真)が通過し、

「凄いぞ!能古島〜!」

なんて話していたら

さらにもう一台が!

これは臨時の2台目、

合計3台目のバスですよ!

K氏からの事前情報で、

フェリーが満員になるとは

聞いていたものの

実際にこんな光景を目の当たりにして

興奮しまくりの僕たちです(笑)

能古博物館へ

ここからは下り坂。

福岡市内も見えてますね。

案内板を確認。

次なる通過地点は「鹿垣」。

テクテク。

鹿垣の案内。

江戸時代、能古島には

黒田藩の鹿の狩猟場があり、

鹿垣とは、

民家に鹿が来ないようにした

石を積んだ垣根(柵)の事で、

この森は私有地なので、

入ることは出来ないと

書かれています。

ここを下りれば、

能古博物館はすぐそこ。

やった〜着いた〜!

景色もいいし、腹も減ったし、

お昼の弁当、めっちゃ楽しみだ〜!(笑)

(続く)

 

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