能古島・那国王の教室〜檀一雄歌碑

 

緩さという優しさ

先日、息子に会った時、

「午後からのパフォーマンスが落ちるから

最近、昼飯は食べていないし

仕事に集中出来ないものは、

すべて排除している」

こんな話をしていました。

確かに眠たくなるんですよ〜

昼飯の後は・・

ところが、

K氏の教室(講演)開始は、

美味し〜い居酒屋弁当

たらふく食べた後(汗)

K氏が手配、P氏が調達した現物を

ここで改めて確認(笑)

こんなものを腹に入れてしまったら

素敵なお話が、

素敵な子守唄になるのは必定・・

そんな僕らの心中を察してか、

K氏曰く、

「寝てもらって良いですから

どうぞお気軽に聞いてください」

あ〜なんと優しいお言葉!

こんな緩さがK氏の大きな魅力、

K氏に人が集まる理由の一つかも

知れませんね!

那国王の教室

教室のはじまりはじまり〜!

能古博物館1階の研修室へ。

能古島Tシャツ姿のP氏の姿発見(笑)

K氏のお出迎え!

K氏渾身の資料。

中身は、参加者たち全員の

大切な宝物ですから

公開は控えておきますが、

その内容といえば、

黒田官兵衛孝高よしたか

黒田藩が関わった

水軍にまつわる出来事が

戦国末期から江戸時代にかけ、

多岐にわたり時系列にまとめられていて、

「へ〜そうだったのか〜!」の連発で、

今まで官兵衛さんの一面しか見てなくて

ごめんなさい(汗)と言うのが、

正直な感想です。

そして、

この表紙の右下を見た途端、

脳裏に浮かんだのが・・・

昨年(令和5年)の早春に訪問した

岡山県の古代山城、鬼ノ城きのじょうです。

今から1300年前の天智天皇の時代に、

こんな派手な盾が日本にあった事に、

衝撃を受けた思い出が蘇ります(笑)

P氏提供の教室風景。

官兵衛さんは、

単なる秀吉の軍師というより

調略、戦術、戦略、兵站、

人心掌握、それにプラスして

宣教師対策などをひっくるめた

「戦の総合プロデューサー」的な

役割を果てしていたんだと大納得。

そんなK氏のお話は、

官兵衛さん以外にも

黒田家の家紋など、

興味津々なことばかり。

お陰様で、

弁当でお腹が膨らんだ僕でも

睡眠時間は数分程度?で

済みましたとさっ!(笑)

能古焼古窯跡

まどろむ間もなかった

2時間の教室終了後、

能古博物館の敷地内にある

能古焼古窯跡のこやきこようあと能許万葉碑のこまんようひへ。

改めてK氏作成のルートマップを確認。

これから巡るコースを

大まかに言えば、島の下半身部分(笑)

本当は「島の西側」なんですけどね。

妻は参加者の女性との

お喋りが楽しくて仕方ないようで、

喋りに夢中で途中本隊とはぐれてしまい、

捜索班まで出してもらう始末でした(笑)

でも、

それだけ充実してるって事で、

ま、OKでしょう!

能古焼古窯跡に到着。

上方から撮影。

僕が撮影している風景を

P氏がパチリ!

妻は何故かカメラ目線(笑)

案内を確認するご一行様。

案内。

「能古焼古窯は、

窯本体の長さが22m、

最大幅5.28m、比高差5.2mの

焚口部と焼成部7室からなる8室構造の

連房式登窯です。」

「江戸時代の明和〜天明年間に稼働し、

有田焼・高取焼系統の陶器が

多く出土しています。」

以上のような記されています。

能許万葉碑

次は少し坂を登り、

能許万葉碑を目指します。

万葉碑は左ですが、

まずは正面のお地蔵様へ。

平和地蔵尊に参拝。

能許万葉碑と案内(左)

読み下しは、

「風吹けば 沖つ白波 恐みと

能許の泊まりに あまた夜そ寝る」

K氏の解説に聞き入るご一行様。

案内を抜粋・要約すると

「能許(のこ)という地名の

最も古い記述が見られるこの歌は、

遣新羅使が能許の泊で風まちをしている

風景を詠んだもので、

海が荒れたままで、

うんざりしている裏に、

日増しに募るふるさとへの恋しさも

秘められています。」

このようになります。

能古島東端の「也良崎万葉歌碑」から

ここまで散策し、

能古島については、

アイランドパークの

コスモスのイメージしかなかった僕が、

防人のいた古代から

弁才船の江戸時代まで、

日本の玄関口として、

また防衛拠点として、

最重要拠点であった事を

インプット出来たのは、

K氏のお誘いがあったからこそで、

本当にありがたいことだと

ただ喜びしかありません。

檀一雄「下照妹」歌碑

能古島の散策の中で最後の訪問地となった

檀一雄「下照妹」歌碑。

K氏主催ツアーの

フィナーレを飾るに相応しい、

サプライズなクライマックスが

待っていました!

まるで山城の土橋のような道。

敵から狙われると

一人一人討ち取られる仕掛けですね。

そう言えば、宮本武蔵も

吉岡一門との決闘では、

細い一本道に誘い込んでたっけ(笑)

「檀一雄歌碑70m」の案内。

あと20m!

僕が能古島でイメージしていた

コスモスの花も咲いています。

綺麗だな・・

なんて思ってたら、

近くで歓声が!

ご一行様の視線の先にいるのは、

檀一雄の息子の壇太郎さんです。

さすがK氏、持ってますね〜!!

まさかここに「ラストサプライズ」を

ぶち込んでくるとは!

やられた〜(笑)

偶然ではなく、空前の出会いに

みんな見惚れてしまい、

そのあまりのオーラに

「イケメンやわ〜!など

嬌声も上がって、

一同はもう大盛り上がり。

妻も思い切りデレっとしております(笑)

確かに背も高いし、

お顔もい良いし、

今回だけは、

さすがの僕も負けたかな?(笑)

壇家の塀伝に歌碑へ。

檀一雄「下照妹」歌碑に到着。

「つくづくとはぜの葉朱く染みゆけど

下照る妹の有りと云はなく」

ここに詠まれた「櫨の木」(多分)が

この碑を覆っていますね・・・

「櫨の葉は色づいているのに、

美しい妻はもういない」

このような意味のようで、

檀一雄の最初の妻であり

太郎さんの母でもある律子さんへの

思いを詠んでいます・・・

太郎さんで盛り上がり、

歌碑の前では、

しんみりしたご一行様、

ここからは帰路、

能古島港と向かいます。

(続く)

 

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