小城陣屋(佐賀県小城市)
無城主格なのに7万石
江戸時代、「城」を持つことを許される
いわゆる「城主大名」というのは、
1万石ほどの大名でもいたようですが、
佐賀藩の支藩である小城藩は、
城を持つ事が許されない
「無城主格」の身分にも関わらず
なんと7万石以上もの禄高を持っていました。
あの大きな島原城を持っていた島原藩が
4万石しかなかったのですから
なんだか面白いものですね。
江戸時代の平和な世の中で、
巨大なお城というものが
権威の象徴だけに
成り下がった事を考えれば、
たとえ石高は多くとも、
維持費や経費が少なくてすむ陣屋で、
政務を取る方が、
実は良かったのかも知れません。
小城藩邸跡
実は、小城陣屋、
「陣屋」とは呼ばれていなく
その下の「藩邸」と言われていたそうです。
表題は小城陣屋としましたが、
諸説あるので、小城藩への
敬意を含め「陣屋としました」(笑)
その陣屋(藩邸)跡は、小城公園の北側、
今は学校の敷地になっている場所にあります。
案内。
現代に残る藩邸の遺構、石橋。
開発によって遺構は殆どありません。
そんな中でも石橋は貴重なもので、
最近、冠木門のようなものが
建てられ、その存在が少し
目立つようになっています。
石橋のアップ。
真横からも撮影。
そして、この石橋の少し南側には
小城公園の前身である
桜岡公園の案内があります。
初代藩主、鍋島元茂がここに桜樹を植え、
明暦二年(1656年)
二代藩主鍋島直能(なおよし)が
この地を鯖岡から桜岡として、
さらに桜樹を植樹した由来から
明治八年、
桜岡公園として整備されました。
その桜岡公園の石碑の文字は、
地元出身の書家、中林梧竹のものです。
石碑遠景。
「桜岡公園」の文字。
ここまで文字遊びが出来るのが
ホントに凄いです!
そして、中林梧竹の書がもう一つ。
小城藩邸跡にある「梧竹退筆塚」
中林梧竹の遺志によって
建立されたもので、
石碑の文字は鍋島直虎の書。
両脇の門柱の文字が中林梧竹の書で、
右門には「書聖垂範」、
左門には「自彊乃成」と書かれています。
また横石にも梧竹の書で、
「信哉(八十七翁梧竹)」
と刻まれています。
小城陣屋(藩邸)自体の
遺構は少ないものの
小城公園全体を小城藩の遺構とすると
かなりのスケールになります。
岡山神社もその一つですし、
小城公園の心字池も同じく
遺構でしょうね。