2018/05/20
大湊神社(2017年福井の旅)(三国町)
出雲と越前の関係
福井の旅は今から一年前でした。
そのころは福井について、
知っていることと言えば、
川本真琴や高橋愛(元モー娘。)の
出身地ということぐらい(笑)
その福井のブログを書いているうちに
大和政権樹立の前、
出雲(島根県)が日本を
支配?していたころ、越前(福井)では
出雲文化が浸透ていたことを知りました。
大湊神社の神主さんが書いた文章を
ネットで見つけたので要約し抜粋します。
「この大湊神社に合祀されている
楊瀬神社の祭神が
『出雲国風土記』の中で
述べられている御穂須須美命なのである。
しかもこの神様の女神像が
大湊神社に現存し、
鎌倉時代初頭の木彫として
文化財指定の物件として
保存されているのである。」
へ〜出雲風土記と言えば、
日本の風土記の中で唯一、
完全版が残っている貴重なもの。
その中に書かれている神様が
大湊神社にいらしゃるとは!
やっぱり旅って凄いですね〜!!
大湊神社へ
丸岡城からは、この日最後の目的地、
奇岩がおりなす海岸線と
素晴らしい夕陽で有名な
東尋坊(とうじんぼう)を目指します。
内陸部の丸岡城から車で50分ほどで
日本海の景色が見られるのです。
今回、東尋坊に行く最大の目的は、
「素晴らしい夕陽」です。
その夕陽を見る前に、行きたい場所が、
東尋坊の北側に位置する大湊神社と
その対岸の「雄島」(おしま)という
島に鎮座する大湊神社。
同じ名前の神社が海を挟んで、
向かい合って建っているのが
気になっていました(笑)
そして、まずは多分メイン?であろう
雄島の大湊神社を目指します。
雄島に渡る橋付近にある案内図。
そんなに古くはなく、
戦前に建てられたとは思えませんが、
何故か福井県が福井縣となっています。
ここにはイワツバメが生息しています。
雄島橋
日が傾いて来て、
良い景観になってきました。
島全体が境内地なのか、
島の入口には鳥居が見えます。
橋を渡り切る前、
振り返るとこんな景色です。
橋から東尋坊を臨む。
説明によると
「流紋岩質の溶岩が地表付近で固まって出来た島で、
島の左手(東側)には柱状節理の縦の断面に沿う
壮大な断崖が現れています。」
確かに凄い断崖ですね!
この断崖の上あたりが大湊神社です。
鳥居をくぐり島内へ。
鳥居の先にはおみくじや
お守りを販売している
無人の小屋(社務所の出張所?)があり
これからの長い階段を上れない方用に
ここで参拝も出来るようになっています。
おみくじ売り場を過ぎると
いきなりジャングルです(笑)
「式内」と書いてあるのは
平安時代の西暦927年に
醍醐天皇の命令で編纂された
延喜式という格式(律令の施行細則)の中の
神名帳(じんみょうちょう)に記載された
全国2861社に入っている
事を示しています。
要するに大湊神社の歴史は
短く見積もって、1100年は
あることが証明されているのです。
凄いな〜大湊神社(笑)
石段を登って下を見ると、
かなり急坂なのが
改めてわかります。
ようやくご社殿がある境内が
見えてきました。
手水舎。
手水鉢の右側に「矢」が彫られています。
昔は矢を射る神事があったそうですので、
その関係で矢なのかも知れません。
本殿は1621年の建立で、
県指定重要文化財です。
ご祭神が事代主神、少彦名命外五柱で、
江戸時代までは三保大明神という
名前で呼ばれていたそうです。
(明治になって多くの神社で、
仏教と関係ある名前は変更されています)
拝殿にて参拝。
踏み石はいつごろのものでしょうか?
かなり古い感じもします。
御神木のような木。
拝殿の正面は海が広がり、
その海に向かって鳥居が建っています。
鳥居の下から見た東尋坊。
丁度正面になります。
ズームして撮った東尋坊タワー。
東尋坊の凄さは
その奇岩と絶壁にありますが、
ここから見るのが
形が分かり易いかも知れません。
大湊神社は、
隠れた東尋坊見学スポットです(笑)