岡山城(令和5年3月)外観編(3)

 

幸運な建築物

宇喜多秀家さんが築城した

岡山城の天守は米軍の空襲で、

灰燼に帰しています。

もちろん、先の大戦では、

お城だけでなく、神社仏閣など、

多くの文化財的建物が

焼失していますが、

紙一重で生き残ったものも

一定数存在しています。

その中の一つが、岡山城の月見櫓です。

天守からほどない距離なのに

無傷で残ったとは・・・

間違いなく、

「幸運な建築物」ですね!

月見櫓

幸運にあやかる為・・・

ではなく、

興味があるから(笑)月見櫓へ。

「国指定重要文化財 岡山城月見櫓」

案内を抜粋・要約して書き出すと

以下になります。

「月見櫓は、岡山城本丸を構成する

一ニ三ひふみの段の二段目に当たる、

中の段北西角を固める隅櫓です。

池田忠雄が城主であった時の

城郭整備に伴って、

元和年間から寛永年間前半

(1620年代)に建てられました。

構造は一部地下付きの

塗籠造り本瓦葺き二階建てで、

場外(北西)側から眺めると

二層の望楼型、

城内(南東)側から眺めると

三層の層塔型を呈しています。

地階は、一階床下の貯蔵庫であり、

一階の床張りが引き上げ式の

戸板となっていて、

有事の際にはそれを開いて

一階に通じるしくみです。

場外側には石落とし(俯射装置)を

組み込むなど臨戦の備えをなし、

城内側は二階には手摺付きの

縁側が廻り、

内側に明り障子を立てるなど

日常生活の御殿仕様で、

月見や小宴を催すのに

格好の構造となっています。」

多機能櫓というのか、

万能櫓というのか、

戦時でも平時でも使え、

実に便利な櫓だと感じます。

まずは、

場外から・・・

「場外(北西)側から眺めると

二層の望楼型」

間違いなくこの文章通りですね!

角から撮影。

次に城内からの写真です。

確かに三層の層塔型です。

この風貌、

なんか平和な感じだな〜!

真横から見ると

一階の屋根が城内部分だけで、

外側は付けられていません。

これって、

外から敵が見た時に、

「な~んだ二層櫓か、大した事無いな」

そう思って舐めてかかると、

「ば~か!実は三層だし、

防御能力も高いんだぜ!」

そう言ってニヤつく為の?

構造かも知れません(笑)

「月見櫓のいくさ備え

銃眼石・穴蔵」

案内を書き出すと

以下になります。

「月見櫓に接する石垣には、

内側から鉄砲で狙い撃ちするための

すき間がくりぬかれた

銃眼石があり、

櫓と一体で軍備を高めていました。

同じものが見られるのは、

徳川幕府の城(江戸、大阪、二条)

のみといわれています。

この案内板の先にある穴蔵は

香川県の豊島てしま産の

凝灰岩(豊島石)で造られ、

幅3.8m、奥行2.9m、

深さ2.3mです。

もとは屋根があり非常用の

食料保存庫といわれています。」

銃眼石。

白壁でなく、

石を狭間として使うのは、

案内に書かれている通り、

かなりレアなものですね。

鉄砲隊の一斉射撃(笑)

穴蔵。

廊下門

次に廊下門へ。

「まるで空中回廊の一部?!

廊下門」

案内を書き出すと

以下になります。

「門の上に敵を迎え撃つための

上屋があります。

上屋は本段の御殿(城主の住居)と

一段低い中の段の

表書院(政治の場)を結ぶ

渡り廊下とつながり、

城主専用の廊下として使われたため

廊下門と呼ばれていました。

昭和41年(1966)

再建されました。」

模型の写真があるので、

空中回廊の雰囲気が、

よく伝わってきます。

中の段から廊下橋の側面を撮影。

廊下橋を正面にして、

下の段へ下ってみます。

下の段に出て、

城外から廊下橋を撮影。

立派な櫓門然としていますね。

さらに引きの写真。

これだと天守と廊下橋の

位置関係もわかります。

この後は、旭川を渡って、

天守遠景の撮影へ。

(続く)

 

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