岡山城(令和5年3月)外観編(2)

 

石垣三昧

30万石以上の石高を持つ岡山藩は、

お城の縄張りも広大で、

大きな天守を持ち、

積まれた石垣もまた、

大藩に相応しい、立派なものです。

そんなお城だからこそ

戦国から江戸末期まで、

歴代の石垣を大いに楽しめる

まさに、

石垣三昧な岡山城なのです。

宇喜多時代の高石垣

本丸南西部の高石垣は、

戦国時代末期(桃山時代)、

宇喜多秀家時代のものだそうです。

下の段から見た高石垣遠景。

上部は小さめの石、

下部に行くに従い大きな石を使い、

踏ん張りが利くような積み方に見えます。

不明門あかずのもん側の近影。

岩盤に接する部分のド迫力は、

延岡城の「千人殺しの石垣」を

彷彿とさせてくれます。

不明門下の石垣

次に不明門下の石垣へ。

「宇喜多時代の高石垣に接する

不明門下の石垣」

案内を書き出すと以下になります。

「関ケ原合戦後、小早川時代か、

その直後の池田家が

城主となった頃に築かれたと思われます。

中ほどの一部は天保9年

(1838)に崩れて修理されています。

右に接する宇喜多秀家時代の高石垣は、

露出した岩盤に岩を乗せ、

まるで踏ん張っているかのような

佇まいです。」

確かに右の宇喜多さん時代の

素朴な石垣と違い、

真ん中、不明門下のものは、

石を加工した打込み接ぎで

積まれていて、

二種類の石垣を楽しむには、

絶好の場所かもしれません。

鉄門跡

不明門への石段途中に

配置されていたのが鉄門くろがねです。

下の段から見た鉄門跡。

「鉄壁の守り 鉄門跡」

案内を書き出すと、

以下になります。

「くろがねは鉄のことで、

木の部分を鉄板でおおった

いかめしい門だったため

この名になったといいます。

下の段の南側から中の段の

表書院(藩政の場)へ

通じる櫓門でした。」

この絵図のように

城内から見ると、こんな感じです。

やはり本丸近くなので、

不明門とともに2つの門を配置し、

厳重警戒されていたのが、

よくわかります。

「天守に次ぐ雄大さ 大納戸櫓」

案内を書き出すと以下になります。

「本丸の大手を守る要となる

城内最大の櫓で、

三重四階建てでした。

宇喜多直家の整備した

亀山城(沼城)から移築したとの

伝承もあります。

壁には黒い下見板が張られており、

藩政のための書類や

道具類が保管されていました。」

大納戸櫓下の石垣を

改めて確認してみます。

天守並みの巨大な櫓台ですね。

三階櫓で権威を見せつける、

石垣で言えば「鏡石」的な存在としての

意味合いもあったのでしょう。

不明門の先は本段(本丸)ですが、

ここはスルーして中の段を

さらに深堀りしていきます。

表書院

中の段の敷地は表書院が、

その大半を占めていたようです。

「藩政の場 表書院」

案内を書き出すと

以下になります。

「岡山藩の政治が行われた御殿で、

大小60を超える部屋がありました。

発掘調査で出土した

建物の礎石などの遺構は地下に保存し、

地表には建物の位置や間取り、

泉水などを表示しています。

 

登城してきた家臣たちは

南東の玄関から入り、

広い廊下を通って奥へ進み、

それぞれ所定の部屋で働きました。

廊下に面した徒番所は城内の警備や

雑用にあたる家臣の詰所でした。

 

藩主は、住居である本段の御殿から

渡り廊下を下って北西の招く雲閣に入り、

南座敷で政務を行っていました。

泉水のある中庭には、

数寄屋(茶屋)が建っていました。

北東部には台所があり、

藩主の食事や儀式用の

料理を作っていました。」

後から天守内で見た映像で、

磯田道史さんが、

「藩主は午前中だけ表書院にいて、

重要案件のみを処理し、

その他は部下に任せて、

あとは趣味などやっていたんです。」

というお話をされていました。

藩主になりたいかも?(笑)

建物の平面表示。

ここからは天守も見えています。

泉水。

案内で注目すべきは、

次のフレースです。

「北東の井戸から

備前焼の土管で水を引き、

水が漏れないように底に漆喰を貼って、

中の島からその水が

湧き出る仕組みでした。」

さすが岡山、備前焼の土管だなんて、

めっちゃ贅沢な事やっていますね!

築城時の石垣展示(1)

岡山城の露天展示で特筆すべきは、

2箇所ある築城時の石垣展示です。

興味ある人は、

泣いて喜ぶ・・・かも?(笑)

まずは1つ目。

お~あった~!(笑)

図面の「中の段のうつり変わり」

これは面白いですね!

江戸時代には、

宇喜多さん時代の何倍もの

広さになっているのが

よ~く理解できます。

こちらの展示も素晴らしい!

四百年間の地層がそのまま

展示されているんですから。

妻の身長からして、

高さは約4mほどあるようで、

一年で1cm堆積した勘定です(笑)

真ん中あたりの層からは

金箔瓦が出土されていますので、

桃山時代くらいの地層なんでしょう。

築城時の石垣展示(2)

次に北東部の展示へ。

地上からの俯瞰も可能です。

地下へ。

お~算木積みでない、

古い隅石、いいですね!

案内の最後には、

石垣展示に関しての

思いが込められています。

「石垣に触れると、

先人の偉大な知恵と技が伝わってきます。

この場で語り合い、

国民共有の文化遺産である

この城跡への理解を深め、

岡山のまちと人の成り立ちに

思いをはせてみてください。」

露天展示と、詳細な案内、

有り難いという他ありません!

このように写真と平面図付きなのも

また、素晴らしいのです!

この後、地上に戻って(笑)

貴重な現存建物、

月見櫓へと向かいます。

(続く)

 

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