青幡神社の大楠(佐賀県伊万里市)
出会いは突然に
長崎県の平戸城にいく途上、
道ばたに大楠を見つけました。
全く予定外の出来事ですが、
もちろん行ってみることに。
やはりキョロキョロするのは
大切です(笑)
青幡神社へ
一旦神社の前を通り過ぎ、
すぐに引き返して駐車場に到着。
駐車場横の参道から境内へ向かいます。
大きなクスノキがそびえ立って
いきなり素晴らしい景色です。
後から分かったのですが、
ここは横参道で、表の入口は別でした。
お〜幹が太い!
案内には、「僧形神座像」
「僧形八幡大菩薩像」の文字があり
神様は仏が化身とした権現
(仮の形で現れること)であるという
神仏習合の中心的な神社だったことを
物語っていますね。
阿形の狛犬。
吽形の狛犬。
燈籠の先には肥前鳥居があります。
これは後期型で、江戸時代中期以降の
建立ではないでしょうか(勝手な推測)
境内に入って、まずは巨木を撮影。
大きさの比較写真。
幹のドアップ。
別の角度から。
いや〜これはカッコいい!
かっこ良過ぎる(笑)
主幹は無くなっているようですが、
それ以外の幹が素晴らしい形に成長していて
僕たちの心を和ませ、癒してくれて、
本当に有り難いものです。
こちらが正面の入口。
鳥居の両脇にまるで狛犬のように
存在している石が気になります。
右側の石。
化石?でしょうか。
左側の石。
説明はないので、
これが何かはわかりませんが、
台座に乗っけられて、
置かれているのは何らかの
言われがあるものでしょう。
そして、鳥居をくぐって
少し先にも両脇にこんなものが…
右側。
う〜ん謎!!
左側も謎〜〜(笑)
楠のご由緒。
佐賀県の天然記念物で、
樹齢は消されていますが、
別の看板には800年と
書いてあり、
幹の太さからすると
800年とする説は
当たっていると思います。
この枝振りの凄さ!
根っこには空洞もあります。
とにかくこの神社のシンボルは大楠。
妻はタコのようだと
言っていましたが、
確かに右側の丸い幹は
タコの目に見えるかも?
そんなタコに、いや巨樹に、
僕たちは長い時間、
見とれていました(笑)
そして、やっと拝殿へ。
ここでは横参道にあったのより
古い形の肥前鳥居が待っていました。
神仏習合らしく、
神額「青幡大明神宮」の文字の上に
梵字が一文字書いてあります。
肥前鳥居はこの角度からが
一番カッコいい!
拝殿。
参拝。
奥の天壌無窮の文字が、
日本書紀に出て来る三大神勅、
「天壌無窮の神勅」
「宝鏡奉斎の神勅」
「斎庭の稲穂の神勅」
を思い出させてくれます。
天壌無窮とは天地とともに
この国が永遠に続くという意味で、
天照大神が降臨する孫の瓊瓊杵命に
与えた神勅です。
神社ではこの天壌無窮という文字
良く見かけますね。
ここでツーショットも完了。
僕たち二人だけで独占の
誰もいない境内。
本殿。
左が本殿、真ん中が幣殿、
右が拝殿。
いつごろ出来たものなのかは
良くわかりませんが、
なかなか趣のある木造の社殿です。
また、ここには多くの境内社があり
その一部を紹介します。
石垣の上に建つ社。
祇園牛頭天王とありますので、
素戔嗚尊と仏教の神様の集合です。
こちらは境内社というより
境内寺といった感じです。
神額には、
「阿弥陀如来尊」
「不動明王尊」
「愛宕地蔵尊」
と書いてあって、
間違い無く仏様+神様と
なっていますね!
ここまで合体させた名前は
初めて見ました。
こちらも境内寺っぽいもの。
別宮と神社にはなっていますが、
神額には「大通智勝佛」となって
ここは仏様のようです。
また境内社ではなく燈籠ですが、
こんなものがあrました。
削ってありますが、
「国際連盟脱退記念」
と読めますね!
当時の外務大臣だった松岡洋右が、
「連名よさらば」との言葉を残し、
国際連盟を脱退した時に、
こんなものが建立されていたとは、
当時の国民感情が、手に取るように
分かってきました!
やはり欧米列強に対しての
憤懣やるかたない思いが
この燈籠の奉納となって
爆発したのでしょう。
これ、高さ6m位と
意外とデカイのです(笑)
今日の気になる写真
本日は二枚あります。
その一つはこちら。
首を切られた仏様。
明治初期の神仏分離例による
廃仏毀釈の名残でしょう…
神仏習合色が強いこの神社には
こんな仏像がいくつもありました。
次の写真はこちら。
大楠を見つめる狛犬さん。
逆に大楠に守られている
狛犬さんでもありますね!
なんだかこの光景にほっこりです。