大歳神社(山口県下関市)
源義経由来の神社
下関と言えば、壇ノ浦の戦い。
いきなりこじつけています(笑)
その、壇ノ浦の戦いで、
平氏を滅亡させる発端になった
矢文を射た源義経の故事が、
大歳神社の発祥となってます。
そんなこととはつゆ知らず、
高杉晋作とか奇兵隊などに
関係がある神社ということで、
参拝した僕たちでした(笑)
大歳神社へ
当初は櫻山神社参拝後、
次の目的地として考えていた
大歳神社ですが、
金毘羅宮を見つけてしまい、
三番目の参拝となりました。
一の鳥居の前に先ほど書いた
ご由緒が詳しく書いてあります。
大歳神社の御祭神の一柱が、
関東を中心に、富士山周辺に多い、
浅間(せんげん)神社の御祭神と同じ、
木花開耶姫(このはなさくやびめ)
とうのは、源義経が浅間神社の
神様に祈って、
矢文を射たことによるものでした。
大鳥居は、高杉晋作と
大いに関係した
下関の豪商であり、
高杉晋作など尊王攘夷派の
スポンサー的立場でもあり
また、奇兵隊にも属した
白石正一郎の寄進です。
江戸時代末期の建立。
攘夷必勝に祈りをこめての
寄進です。
裏側には、白石正一郎の名前も。
そして、階段を上るのですが、
その階段、なんだか色々と
書いてあります。
人が生まれてからの
人生儀礼が書かれています。
へ〜そうか〜くらいに
見ていてふっと気付いたのは、
それぞれ段数にあった
年になっていること。
要するに七五三の三歳だと三段目、
五歳だと五段目という風に
プレートが貼ってあっるのです。
そんな法則に僕は途中まで
全く気付かなかったのですが、
妻は初めから分かっていたそうです。
女性は18歳で早くも前厄か〜(笑)
30代からは男女ともに
厄年ばかり(汗)
70過ぎれば、厄なんか消えてます(笑)
あとは寿ぐ(ことほぐ)ことばかり!
長生きは素晴らしい
ということしかありません。
ようやく御社殿のある境内地へ。
階段の最上部には、
こんなプレートが。
今は115段ですが、
以前は123段だったようです。
そのお話が書いてありました。
元々は123段あって、
123は「ひふみ」と読めるので、
「ひふみのお祓い坂」としての
願意が込められていて、
階段を一歩一歩歩くことにより
心身を清めお参りする意図が
こめられていたそうです。
ただ、崩落により8段減ってしまい、
(旧:123坂 お祓い坂)と
書かれていた訳です。
色んなこと考えて
階段の段数も決めてるのですね!
二の鳥居横の狛犬。
江戸時代後期のものでしょうか。
手水鉢も時代を感じさせる逸品。
しかも、人に反応して龍の口から
水が出て来る装置がついています。
拝殿。
拝殿向かって左には、
この神社の発祥となった
源義経の故事が御影石に
描かれています。
絵馬も同じく弓を引く義経。
こちらは弓を引く妻(笑)
次に拝殿前の狛犬に注目。
大正時代の狛犬。
このデザイン、
なかなか味があって良いですね!
何で頬に丸い穴なのか?
なかなか珍しいもので、
不思議に思ってみていたら、
妻が「反対にもあるよ」
と教えてくれました。
なるほど!
ある(笑)
口の中の玉を入れる穴?
そうも思いましたが、
中の玉の方が頬の穴よりも
かなり大きいので、
それは却下。
吽形も
大きいのに可愛らしくて、
センスありますね!石工さん。
参拝。
大歳神社の拝殿は
吹き抜けではなく
クローズドタイプ。
次に境内社を参拝。
八坂神社、蛭子神社。
参拝。
ご由緒。
五社稲荷社。
千本鳥居…
いや、30本鳥居くらいかな?
参拝。
ここから左を見ると、
大歳神社の本殿が
目の前に見えます。
有刺鉄線が張ってあるのは、
良からぬ輩がいるのかな?
次に石碑などを巡ります。
櫻山招魂社を参拝した
七卿の碑。
痛みが激しいのは、
昭和15年に関門トンネル工事で
旧社地から立ち退き
今の場所に遷座した際、
20年間も放置されて
いたからだそうです(汗)
しかし、放置して、痛んだものでも
こうして、また立てておくのは、
放置して失くしたよりも
はるかに素晴らしいことですね。
遷座記念碑。
白石正一郎の功績を讃える石碑。
白石正一郎という方の人となりは
Wikipediaによると
西郷隆盛をして
「温和で清廉、実直な人物である」
だったそうです。
豪商と言えば悪徳商人しか
思い浮かばない僕の性格は
やはりひねくれていますね(笑)
はやり時代を動かす人って、
自分の利益なんかよりも
国家のことしか考えなかったようで、
白石正一郎さん資金援助のやり過ぎで、
最後はお金に困っていたようです…。
御朱印
僕たちが参拝に行った時、
神職さんが来られたので、
早速、授与してもらいました。
そうか、七月は文月か〜
日本伝統の言い方って、
なんか素敵ですね!
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