民家園(宮崎県宮崎市)
茅葺屋根への愛着
各地を旅していると
時折、茅葺屋根の民家や、
神社などに出会う事が度々あります。
見る回数を重ねた結果、
以前は全く興味が無かったものが、
いつの間にやら、茅葺屋根を
愛する(笑)ほどになってしまいました。
そんな僕がグーグルマップで、
宮崎神宮の場所を
確認していて発見したのが、
神社本殿裏側に隣接する、
宮崎総合博物館と、その敷地内にある
「民家園」という茅葺屋根の住宅群です。
「好きなものは目に止まる」という法則は、
ここでも生きていたようですね(笑)
民家園へ
宮崎神宮の参拝を終え、
参道途中から枝分かれした
宮崎総合博物館への道を歩きます。
九州地方に良く見られる
神仏習合時代の仁王像が
境内に置かれています。
親切な道案内が各所に建てられ、
初見参の僕たちも
迷う事無く安心して、
宮崎神宮境内の森を抜け、
博物館方面へと歩いていけます。
民家園近くの立て札。
「茶葉を摘まないでください」
・・・へ~これはお茶か~!
書いていなければ、
これが茶葉とはわかりません(笑)
もちろん、摘んでいませんよ。
宮崎総合博物館の案内。
右下の黄色い地区が民家園です。
これは宮崎総合博物館前にあった
民家園だけをフューチャーした案内板。
4棟のうち、国指定重要文化財が
2棟もあります。
民家園に入ると、
古い石仏が迎えてくれました。
米良(めら)の民家
ここにある4棟の民家は、
全てが移築されたもので、
まずはじめに西米良村にあった
「米良の民家」を見学します。
案内板。
西米良村は熊本との県境に位置する
山の中にある村で、
僕は30年ほど前(笑)
車で通過した事があったので、
「米良」を「めら」と読むのは容易でしたが、
多くの人は、20年ほど前、
ジブリ映画「もののけ姫」の
主題歌を歌った米良美一さんが
全国的に有名になった時、
「めら」を知ったのではないでしょうか。
話が外れてしまいましたが、
外れついでに(笑)書けば、
米良美一さんは、宮崎県西都市の
出身ですから、
「米良」という名字のルーツが、
西米良の米良と何らかの関係は
あるかも知れませんね。
米良の民家全景。
馬屋。
母屋。
天井。
美しく維持管理されています。
茅葺屋根の作り方などの説明。
「米良の家が建てられてから」の
元号の変遷。
令和元年で198歳となっていますが、
僕の感動をツボを押したのは、
そこではありません。
この案内を見て思ったのは、
民家園が常にメンテナンスされ、
観る人達に向けての
最新情報を発信している事です。
寂れた観光地感を全く感じさせない、
手厚いおもてなしに
感動するしかありません。
「ドマ」という名称の通り土間です(笑)
椎葉の民家
次は椎葉の民家。
宮崎の北西部、
熊本との県境近くの山間部、
椎葉村にあったものが移築されています。
全景。
こうして見ると茅葺屋根の構造は、
弥生時代の昔から
あまり変わっていないように感じられます。
これは以前行った弥生時代の遺跡、
佐賀県、吉野ヶ里歴史公園の写真です。
屋根上部の構造などもそっくり?
内部。
まるで横綱のような注連縄の立派さが、
印象に残っています。
旧黒木家住宅
3棟目は旧黒木家住宅。
案内板。
宮崎南西部の
高原(たかはる)町にあった
郷士の建物を移築しています。
高原町といえば、神武天皇が幼少の頃
暮らしていたとされる場所で、
幼名が狭野尊(サノノミコト)であった
神武天皇をご祭神とする狭野神社や
天の逆鉾がある天孫降臨の伝承地、
高千穂峰を有する霧島東神社もあり・・・
などなど思いが浮かび過ぎ、
「あの坂本龍馬が引き抜いた
天の逆鉾に行ってみたいな~」
なんて、
旧黒木家住宅そっちのけで、
「行きたい病」を発症してしまいました(汗)
全景。
「オモテ」と呼ばれる側から撮影。
「ドマ」
ナカエ。
ナカノマ。
旧藤田家住宅
最後は旧藤田家住宅です。
案内によると
宮崎北西部の五ヶ瀬町からの移築で、
天明七年(1787年)に建てられ、
国指定重要文化財となっています。
全景。
内部。
天井裏側も素晴らしい。
反対側からの全景。
これで民家園の散策は終了し、
宮崎総合博物館へと向かいます。
今日のお風呂
敷地に何気なく置かれていた石風呂。
五右衛門風呂みたいな
鉄の釜をここにスッポリと入れて
使っていたのでしょうか(笑)