宮崎県総合博物館(宮崎市)前編

 

博物館の立地

山口県の西端に位置する下関市の

下関市立歴史博物館は、

高杉晋作が挙兵した功山寺の真ん前、

長崎歴史博物館は、長崎奉行所跡

島根県立古代出雲歴史博物館は、

出雲大社の隣、

そして、今回訪問した、

宮崎総合博物館は、宮崎神宮の隣と

何だか博物館と史跡や寺社は、

「ご近所さん」というパターンが

多い気がします。

そう言えば、

福岡県の九州国立博物館も

太宰府天満宮のお隣ですね。

訪問する側からすると

「ついでに訪問」(笑)が出来、

やはりこのような立地は、

本当に有り難い限りです。

博物館へ

民家園は博物館の裏側なので、

裏道を通って玄関側まで

歩いて行きます。

ここはタダの裏道ではありません。

それは、道の傍らを利用して、

数々の石造物や古墳の石棺などが

展示されていて、ここ自体が、

既に博物館化しているからです。

そして、そのどれもが、

「野ざらし感」ゼロの

手入れされた状態という

稀に見る美しい裏道です(笑)

石造物の一つ、

明治38年に建てられた

「都農駅」の道標。

延岡樫山13号墳出土の箱式石棺。

延岡市小野出土の

刳貫(くりぬき)式石棺。

延岡市友内山出土の箱式石棺。

そして、博物館前にほど近い場所には、

何故か気になる銅像があります。

彫刻家、舟越保武の作品「原の城」。

「原の城」とは、島原の乱の激戦地となった

「原城」の事でしょう。

題名と胸の十字架からキリシタンの

天草四郎だということが、わかりますね。

埴輪のような目と口、

少し猫背になったこの作品は、

島原の乱の中心人物だった、

天草四郎のキリストへの信心と

乱における苦悩や葛藤、

彼も含め皆殺しにされた人々の

怨念的な感情を

表現されているように思えます。

(全く勝手な解釈ですが)

天草四郎のすぐそばにあるのが、

「新富町岩脇の冷湧水性化石群集」

と言われる石の塊です。

案内板。

こちらは貝の化石が集まったもので、

新富町の久家神社には、化石群が

岩肌一面に見られると

写真付きで説明されています。

味のある石のネームプレート。

ここで、裏道は終了です(笑)

博物館のエントランス

敷地を歩くだけでも見どころが多く、

ついつい長居をしてしまいましたが、

エントランスでは、

それ以上に道草を食ってしまいました。

博物館全景。

真正面に回って、改めて入り口へ。

そのエントランスで見つけたのが

この案内です。

「メガロドン石灰岩」

恐竜のような名前ですが、

二枚貝の化石が

石灰石化したもと書かれています。

メガドロン石灰石の模型。

これが貝殻か・・・。

やっぱり恐竜みたい(笑)

そして、僕の心を鷲掴みにしたのが、

玄関前に横たわったクスノキの幹です。

かなり古そうだと思いながら

案内を見てみました。

何と縄文時代後期から

弥生時代に生息していたクスノキで、

宮崎県南部の串間市の

川床から引き上げられた

3本のクスノキのうちの1本です。

地球が寒冷化したころなので、

生育が遅く、年輪が密集していると

説明されています。

逆にそれほど密集していない

現在のクスノキの年輪との比較もあり

誰にでも分かりやすいものとなています。

これを見た妻が即座にこう言いました。

「なるほど~、巨木も木の太さだけでは、

樹齢は推測出来ないという事やね!

ただ太ければ長生きっていう訳じゃ

無いって事やね」

へ~!そう言われれば

その通りですね。恐れ入りました(笑)

木の内部。

確かに密集している気が(笑)

2500年ほど昔のクスノキを

入口前に展示するセンスが、

素晴らしい、宮崎総合博物館ですね。

中に入って見るのがいよいよ

楽しみになってきました!

 

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