臨済寺(静岡市)方丈内覧

準備
特別一般公開日の臨済寺には、
各所に「案内の貼り紙」があり、
「これは何なの?」
なんてことには全くなりません。
忙しい修行の日々の中、
公開日の為に時間を惜しまず、
皆さんで準備されてきたのでしょう。
ただ、感謝あるのみです・・・
摩利支天像など
開山堂から廊下を伝って方丈内部へ。
向かって左端、
唐破風の玄関裏が
方丈への入口です。
方丈内部から見た境内と禅堂。
「山岡鉄舟書
東照宮守護 大摩利支尊天」
徳川慶喜の期待を担い、
敵陣の西郷隆盛を訪ね、
江戸城無血開城のお膳立てをし、
勝海舟・西郷隆盛の会談に繋げて
徳川家の家名を守った幕臣、山岡鉄舟。
そんな彼が、
徳川家康が信仰していた
摩利支天の文字をしたためた事に、
家康さんも涙を流して、
喜んでいる事でしょう・・・。
「方丈」の扁額。
正面に見えているのは、
「位牌の部屋」(勝手に命名・・笑)で、
左には摩利支天像など、
右には歴代将軍の絵画などが
展示されていますが、
まずは左ゾーンから順に見学します。
臨済寺の古い平面図。
俯瞰図。
山門の扁額のオリジナル、
徳川慶喜公筆 臨済寺山号
「大龍山」。
左から、摩利支天、
今川義元公、今川氏輝公の像。
摩利支天。
禅堂で拝観したのと同じく、
左手はピースサイン的なポーズです。
イノシシを股で
ガッチリ挟まれていますね(笑)
僕たち二人は亥年生まれ。
摩利支天様に乗って貰える幸せを
背中に感じています(笑)
今川義元公。
今川氏輝公。
義元の兄で、24歳で亡くなり、
その後の内乱を制した弟の義元が
跡を継ぐことに・・・。
位牌
次は真ん中、位牌の部屋へ。
暖かく見守ってくださる僧侶。
左側から中へと入ります。
部屋の全景。
まずは本尊の阿弥陀如来様にご挨拶。
徳川家累代各々台霊(右)と、
今川家累代各々神儀。
今川家累代各々神儀に続き、
今川氏輝公 位牌、
今川義元公 位牌、
中村一氏公 位牌、
中村一氏夫人 位牌に参拝。
中村一氏夫人、
本能寺の変で信長と共に果てた、
森蘭丸のお姉さんなんですね・・
レア情報、あり難し!
得川家康公像。
ここで妻が雄叫びを(笑)
「あっ!富士山だ!」
お〜確かに富士山ですよ!
家康さんも愛していたであろう
富士山の風景、
このお菓子で家康さんも、
テンション上がっているかも?
そして、も一つがこちら。
「名古屋 八丁みそまん らぶいで候」
お菓子を作られている春華堂のサイトには、
「皮に練り込んだのは、
江戸時代から同じ製法で天然醸造される、
愛知県岡崎市カクキューの八丁味噌。
天然の川石を
山のように積み上げて重石とし、
天然醸造で二夏二冬
(ふたなつふたふゆ)以上の
間熟成させた味噌は、
大豆の旨味を凝縮した濃厚なコクと
少々の酸味、渋味、苦味のある
独特の風味が特徴です。」
このように記されています。
僕たちは偶然にもこの旅の3ヶ月後、
訪問することになるのですが、
この時はカクキューの
カの字も知りませんでした・・
まさか、この八丁みそまんが、
カクキュー訪問の伏線だったとは・・
妻のお菓子好き、グッジョブです(笑)
輪王寺の三仏堂で見たものと
同じくらいの小さいもので、
ちょっと貴族っぽいお顔立ちです。
お顔アップ。
徳川将軍の絵画など
北条内部見学の最後は、
徳川将軍の書や絵画などの展示です。
ここにもちゃんと
「貼り紙」はあります(笑)
「徳川宗家第十四代 徳川家茂書」
「松竹秀而整」
第二次長州征伐の最中、
若くして大阪城で亡くなった家茂さん、
気苦労ばかりの人生だったのかな・・
「徳川宗家第五代 徳川綱吉書」
「麟鳳」
なんか意外と大人しくて
細めの文字ですね。
生類憐みの令を出すほどの「優しさ」が、
文字にも表れているのかな?
「四代将軍 徳川家綱公画」
「堂幅」
優しさ満載で、
お父様の家光さんの血を引いているのが、
一目瞭然ですね!
「徳川宗家第四代 徳川家綱 書」
「和歌・画」
こちらも優しい!
「徳川宗家第三代 徳川家光 書」
アップしてみると
やはり優しさ爆発です(笑)
「徳川宗家第二代 徳川秀忠 書」
「萩之図」
アップで撮影。
イメージ通りの
堅実な人柄が滲み出ているような・・
もう一つの書
徳川とは関係ないというか
ここには徳川幕府を
倒した側の方の書もあります・・・
「伊藤博文 書 扁額」
「薫風」
明治四十一年十月八日と記されています。
伊藤博文はこの約一年後の十月、
ハルピン駅で暗殺されていますので、
この扁額は大変貴重なものですね・・・
(続く)