輪王寺・三仏堂(日光市)

 

予備知識がないと・・・

現代はネットの画像検索で、

見たい写真は、ほぼ見られる時代、

家に居ながらにして、

全てを理解した気になったりもしますが、

輪王寺の三仏堂で体験した

「徳川家康公坐像」は、写真だけでは

全く想像ができないものだったのです。

こちらは輪王寺の屋外に

掲げられていたポスターです。

(三仏堂内部は撮影禁止)

このポスターしか見ていなかった僕たちは、

それなりの大きさ(笑)の坐像だと

勝手に想像していたら

高さ9.8cmと

驚くほどミニチュア的な

坐像だったのです!

予備知識がなかった分、

いい意味で、

感動的な対面が出来ました。

厨子に安置された小さな家康さん

今でも脳裏に焼き付いています。

三仏堂

輪王寺訪問の目的は、

徳川家光のお墓がある

大猷院(たいゆういん)ですが、

まずは、ご本尊が安置されている

三仏堂の拝観からスタートすることに。

拝観券受付所にて、

三仏堂・大猷院・宝物殿の

セット券を購入。

インフォメーションを確認。

三仏堂へ。

三仏堂正面。

石段。

「三仏堂」

案内を書き出すと以下になります。

「三仏堂は日光山の総本堂です。

当初は、平安時代、

山内北裏の瀧尾権現の地に、

慈覚大師「円仁」によって創建され、

江戸時代に新宮(現 二荒山神社)

境内に移築後、

三代将軍家光公によって

正保2年(1645)に

現在の建物に造替されました。

さらに明治14年(1881)に

現在地に移築され現在に至っています。

道内には「男体さん・女峰山・太郎山」を

神仏として崇める

「日光三所権現」の本地仏である

「千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音」の

三仏が本尊として祀られています。

東照宮創建以降は

「東照三権現」の本地仏である

「薬師如来・阿弥陀如来・釋迦如来」の

三体が「懸仏」として欄間に掲げられ、

二組の三仏(本地仏)が

祀られることとなりました。

これが三仏堂を

「日光山全体の総本堂」とするゆえんです。

お堂の大きさは

幅33m、奥行25m、高さ26m。

東日本最大の木造建築で、

輪王寺の恒例行事「強飯式ごうはんしき」(4月2日)、

延年舞えんねんのまい」(5月17日)の

道場ともなっています。」

家光さん、

ここでも大事業をやっていますね!

自身が眠るのは輪王寺と

密かに決めていたのでしょうか・・・

荘厳な桜の木の下に

三仏堂の手水舎はあります。

「金剛桜」

案内を書き出すと以下になります。

「黄芽、白花大輪の

ヤマザクラで花香が強く、

樹齢は約500年、

地際より数本の支幹に分かれ、

特異の樹形をなし、

その基部の周囲は5.7mに及ぶ。

繖房状に3〜4花を着け、

花茎は約3.8cmで、極めて大輪。

花弁は円状で長さ約1.7cm。

巾は約1.6cmで、

花弁の緑は重なりあっている。

明治14年(1881)、

当寺門跡彦坂諶厚大僧正により

現在の地に移植せられたもので、

大僧正の諡号、

金剛心院に因んで命名されたもの。」

すごいですね、

三仏堂の移築と同じ時期に

移植されているとは!

当時でも樹齢は400年ほど。

根っこの張り出しも

半端ないであろう巨木を

いったいどうやって移植したのでしょう?

しかも

現在も元気いっぱいに

枝葉が伸びているのですから

移植技術もさることながら、

ご本尊様のご加護が

あったのかも知れません。

清浄な水を湛えた手水鉢に

桜の葉が一枚だけ浮いているのが、

なんか癒されますな〜!

桜の木に守られながら

お手水なんて初体験かも!

三仏堂斜め右から。

正面から中へ。

内部は撮影禁止なので、

写真はありません。

中では本尊である

「千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音」の

目前で、

お寺の方が懇切丁寧に

案内をしてくださり、

特に印象に残ったお話しが、

大きな仏様の金箔が、

出来た当時から

同じ輝きをしているという事。

見た目は「貼り替えた」と

確信するほどの輝きなんですよ!

拝観を終え、裏側から退出。

輪王寺、見所多くて、

時間が足りなくなりそうです(笑)

(続く)

 

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