龍馬の隠れ部屋(2019年福山の旅)
ここでもネーミングの妙
今までも書いた事がありますが、
ネーミングって本当に大事だと思います。
「煎茶」という名前を「おーいお茶」に
変えて爆発的に売れた例は、
象徴的ですが、
世の中で多く支持されているものは、
それなりに人を引き寄せる
魅力的な名前があるようです。
幕末、坂本龍馬達の乗ったいろは丸と
紀州藩の船が衝突した事件直後に
ここ鞆の浦で談判が行われ、その時
坂本龍馬が滞在したのは
桝屋清右衛門という人の屋敷でした。
その隠れ部屋がある屋敷の名前を
そのまま付けて、
「桝屋清右衛門宅」とか
龍馬が泊まっていたから
「坂本龍馬宿泊所跡」と呼ぶよりも
「隠れ部屋~!」と聞くと
何だかミステリアスな感じがして
思わず見たくなりますよね(笑)
キャッチフレーズとして、
「龍馬の隠れ部屋」を使った事は、
きっと大正解でしょう。
鞆の津ミュージアム
沼名前神社で午後2時からの
「お弓神事」を知り、その時間までは、
行きたい所にできるだけ行く
というスタンスで鞆の浦を歩きます。
沼名前神社から歩くと
すぐ見えて来るのが、
150年前からある蔵を美術館にした
鞆の津ミュージアムです。
時間の都合で、
中には入りませんでしたが
外観を楽しませていただきました。
入り口前にあったダンボールマン!
これが作れたら子どもたちの
ヒーロー間違いなしですよ(笑)
少し行くとこんな家もあります。
電線と電信柱が無ければ、
ここは江戸時代ですね!
路地にいた「小坊主」。
江戸の町風情の場所で、
何でいきなりこんなキャラが出現するのか、
ほんとに楽しすぎる鞆の浦ですよ。
ちなみに小坊主は、頑張る人の
願いを聞いてくれる
ありがた~いキャラでした。
魚友商店
少し行くと窓枠がサッシではない
昔ながらの建物があります。
魚友商店。
予備知識も無いまま店をのぞくと
こんな張り紙があります。
へ~!!
そんな美味しい天ぷらがあるんだ!
しかも
「食べてみて!!」と書いてあるからには、
食べるしかないと店内へ。
僕が、「天ぷらください」と頼むと
店のお姉さまは、 「売り切れました」
と申し訳無さそうなお返事(汗)
え!まだお昼なのに今日の分は
もう売り切れとは、凄まじい人気ですね!
益々食べたくなるではないですか(笑)
しまなみ信用金庫
天ぷらに未練を残しながらも
少し行くと、こんな建物に遭遇します。
しまなみ信用金庫。
2015年に放映された
西島秀俊、香川照之出演のドラマ
「流星ワゴン」のロケ地で、
昭和13年に建てられたものだそうで、
ドラマでは「福山銀行 鞆の浦支店」という
名前になっていたようです。
龍馬の隠れ部屋
町並みを楽しんでいたら
偶然に「龍馬の隠れ部屋」を
見つけました。
隠れ部屋がある
桝屋清右衛門宅の正面。
石柱には、「坂本龍馬宿泊跡」
と書かれています。
これではインパクトが劣ります・・・
やはり隠れ部屋でしょう(笑)
側面のこちらが入り口になっています。
カーブミラーのポールも黄色ではなく
木目色に塗られて、
景観を損なわない配慮が嬉しいですね!
龍馬の隠れ部屋は、
金、土、日、月、祝が営業日です。
引き戸を開けて入場。
エアコンの室外機も
和風の覆いがしてあり
江戸の風情を保っています。
ひな祭りシーズンという事で、
大正時代の内裏雛が迎えてくれました。
そして、何より嬉しいのが、
「PHOTO OK」の文字です。
写真が撮れれば思い出も
残しやすいですからね!
狭い廊下が
また雰囲気を盛り上げてくれます。
帳場がそのまま再現されていますね。
奥には、長崎県の上野撮影局で
撮られた龍馬がこちらを見ています(笑)
案内板。
この龍馬の写真、
ブーツを履いたのがよく分かります。
・・・というか、
龍馬はブーツを強調して
見せたかったのかも(笑)
いろは丸絵図。
大洲藩所有の蒸気船です。
昔の家らしく、
鴨居は低くて、159cmの
妻の身長と変わりません。
いろは丸事件・坂本龍馬と鞆の浦
と題された案内があり、
いかに坂本龍馬の交渉術が
優れていたのかがわかります。
しかし、
紀州藩から多額の賠償金を貰う前に、
龍馬は暗殺されてしまったので、
実際に龍馬の懐には入っていないようです。
隠れ部屋に上がる階段は
観光客用に後付されたものです。
本当の入り口の説明。
本当の出入り口。
階段は外されていますが、
板の扉を閉めると天井にしか見えません。
屋根裏には海援隊のパネルが
待っています(笑)
ここが隠れ部屋です。
ここで書いた手紙の説明。
幕末当時の「壁」。
同じ壁を龍馬も見ながら
ここに滞在していたのでしょう。
別角度からも撮影。
天井裏の梁。
龍馬がここで書いた手紙(複製)
その内容。
現代の龍馬?(笑)
今日の注目
さすが広島県!
こんな所にもありました
カープ関連のものが。
本は買いませんでしたが、
後で調べたら
切り絵作家の吉田路子さんは
他にも沢山、
実にいい仕事していました。