沼名前神社・能舞台(2019年福山の旅)

 

武士は文武両道

現在の「能楽堂」という

能舞台を有するホールは、

明治時代に出来たもので、

そのれまでは、野外にある能舞台で、

能は舞われていたそうです。

しかも組立式で移動でき、

戦場でも能を鑑賞していたというから

驚くほかありません。

戦いの間にも芸能を楽しむという

文化的な側面を見ると

有能な武将は戦うだけが能ではない(笑)

文武両道であることを

よく知る手がかりとなるものです。

能舞台へ

沼名前神社で一番見たかったものが、

元は伏見城にあって豊臣秀吉が、

愛用したと言われる組立式能舞台です。

ただ、秀吉の伏見城は関ヶ原の前哨戦で

西軍の攻撃で落城して消失し、その後、

徳川家康が伏見城を再建しているので、

ここにある能舞台が、

その戦災を逃れたものかどうかまでは、

知る由はありません。

神社の案内によると、この能舞台、

福山城初代藩主の水野勝成が、

二代将軍秀忠から伏見櫓などと一緒に

拝領し福山城に移設され

その後、1738年に沼名前神社に

寄進され、固定式となっています。

福山城の天守を始め多くの櫓が

太平洋戦争末期の福山空襲で

消失した事を考えると、この能舞台、

神社に寄進されたからこそ

生き残ったともいえます。

もしかすると伏見城の戦火と

福山空襲の戦火の二つをうまく避けた

「幸運の能舞台」かも知れませんね。

神門をくぐると正面が拝殿、

その右側に枝分かれした道の先に

能舞台が見えてきます。

石段の奥に見えるのは「能見」。

まさに能を見る場所です。

鞆の浦の主要な案内は、

日本語、英語、中国語、台湾語、韓国語の

五カ国語表示と大変親切です。

能が上演される日以外は、

このように板で覆われているようで、

中は見られません。

正面から撮影。

側面から撮影。

能楽「鞆浦」の石碑。

能舞台がある敷地から

社殿群のある境内へはここを

通って行けます。

新し目の両部鳥居が存在感ありますね。

鳥居をくぐり石段を登ると

正面には、渡守社が見えます。

その右手前にに見えるのは、

お弓神事の的を吊るす壁です。

石段を上りきって振り返ると

能舞台全体が見渡せます。

次回は、是非ここで上演される

能を見てみたいと思った僕の

次なる興味は「能」?かも(笑)

 

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