福禅寺對潮楼(2019年福山の旅)

 

気になる景色

Facebookを頻繁にやっていたころ

たまに對潮楼から見た景色を

画像アップする人がいました。

ただ、写真で見るだけでは、

そんなに素晴らしい景色には見えず、

だからこそ、一度この目で確かめて、

ジャッジしたい(上から目線です・・笑)と

気になる存在となていたのです。

その願いが叶ったのが今回の

對潮楼訪問というわけです(笑)

對潮楼へ

コンパクトな鞆の浦の町並みは、

少し歩けば次なる名所がすぐに現れ、

足に自信がない僕たちには

と~っても優しい観光地です。

龍馬の隠れ家から徒歩5分、

福禅寺對潮楼に到着です。

お寺の石垣の下には、

こんな石碑があります。

大伴旅人が鞆の浦で詠んだ歌。

漢文が読めないので、

鞆物語」というサイトから

読み下し文を引用させていただきます。

「吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は

とこ世にあれど見し人ぞなき」

「むろの木歌碑」という名で、

一部抜粋してみると

「万葉秀歌といわれるこの歌は、

730年(天平2年)大伴旅人が

大宰府の役人の任期を終えて

鞆の浦によったときの一首です。

727年(神亀4年)か

728年(神亀5年)に

任地に向かう時、

妻の大友郎女(いらつめ)と

神木のむろの木に海路の安全などを

祈ったと考えられます。

728年(神亀5年)

大宰府で最愛の妻を失った

旅人の嘆きが伝わってきます。」

このようになります。

ちょっとしんみり・・・

こちらは鞆の浦でもロケが行われた映画、

ヒュー・ジャックマン主演の

「ウルヴァリン:SAMURAI」にちなんだ

「ウルヴァリン:FUKUYAMA」という

ばらの案内です。

真冬なので、ばらは咲いていませんでしたが、

きっと季節が来れば美しい

ウルヴァリン:FUKUYAMAが

對潮楼を華やかにしてくれるのでしょう!

路地を上がって入り口に向かいます。

境内入り口。

綺麗に整備された庭。

お寺ですが、神馬がいます。

何と親子馬でした。

飼い葉桶が賽銭箱になっています(笑)

案内。

ここは朝鮮通信使の

迎賓館として使われていて、

その通信使がここの景色を絶賛し

今の観光スポットになったのです。

朝鮮通信使はある意味鞆の浦の

観光大使なのかも?(笑)

本堂。

観音堂の扁額の文字は、

著名な方が書いたのでしょうか・・・

對潮楼入口付近には、

海岸山(右から左に読むので)扁額が

置いてあり、昔はこれが、

本堂に掲げられていたのかもと推測。

入場料を支払って奥に進むと遂に

「日東第一形勝」が見えてきました。

お~なんか良い感じ!!

やはり実際に目の当たりにすると

ここの景色が絶賛された訳が分かります。

素晴らし眺めをしばし堪能。

動画にも記録完了。

案内&注意書き。

島の案内方法にユーモアを感じ、

思わず笑顔になれました。

「弁天島・皇后島以外の島 仙酔島」

確かに目の前に島は3つですから(笑)

對潮楼を作る時に方位、方角を

正面の窓枠3面が一年の暦を

表すように設計されたという説明があります。

「窓枠3面が一年の暦」とは

僕の頭では理解の範囲外ですが(汗)

ここ對潮楼や常夜燈は、

サザエさんのオープニングにも

なっていました。

ユネスコの世界記憶遺産、

そして日本遺産でもあります。

案内によると

1711年、第8回朝鮮通信使たちから

日本一の眺めと称されたのが、

ここ對潮楼からの景色で、

それを従事官の李邦彦が、

「日東第一形勝」と墨書し

その100年後に福山藩主の阿部正精により

木版されています。

まさしく「お墨付き」の景色という訳です!

そんなお墨付きをくれた通信使ですが、

僕たちの訪問時には、

朝鮮通信使の行列人形展が

催されていました。

対馬の月見一博という方の作品です。

鞆・町並ひなまつりの一環として

展示されています。

通信使一人に対し10~20人の

日本人が付いています。

朝鮮通信使の接待は、費用負担も大きく、

対馬藩、福岡藩なども

大変だったことは知っていますが、

移動自体も本当に大事業だったようですね。

昔から「オ・モ・テ・ナ・シ」は、

日本人の真骨頂というところでしょうか(笑)

正使は日本の籠ではなく、

オープンな神輿の上に座っています。

偉い人も寒い日は大変そうです(汗)

この人形展に隠れるように(笑)

背後や周辺には展示物があります。

上野彦馬が撮影した幕末維新の志士達。

これは、僕たちが、

上野彦馬を知るきっかけになった

肥前さが幕末維新博覧会の

「ながさき幕末維新館」

撮ってもらった合成写真の元となったもので、

忘れられない想い出深い写真です。

その時の合成写真はこちら。

広島県の鞆の浦で、

佐賀や長崎を思い出すとは、

坂本龍馬繋がりのご縁でしょうか、

嬉しい限りです(笑)

昔の對潮楼周辺図。

こちらは大東亜戦争(太平洋戦争)で

使用された日本陸軍の大砲に

取り付けられていたもののようです。

「カメラレンズをピッタリと

合わせると面白写真が」

と書かれていて、

種明かしの「面白写真」も

貼ってあるからには、

同じものを撮るしかありません(笑)

上の梁が写り込んだものの

何とか面白写真の撮影に成功!

よく見ると縦横に定規のような

メモリがついていて、

これが敵に狙いを定める

「兵器」だった事の片鱗を感じます。

そして、ここ對潮楼は「いろは丸事件」の

談判の場所でもあります。

坂本龍馬も對潮楼に

足跡を残したという事で、

ここも坂本龍馬推しの観光地と言えます。

昨年(2018年)は明治維新150年。

各地で記念行事が行われていましたが、

ここ鞆の浦も盛り上がっていたのでしょう。

龍馬の隠れ家にもあった

いろは丸の絵図と

坂本龍馬の母代わりでもあり

龍馬が生涯慕っていた

姉の乙女に送った手紙の案内。

老眼の僕にはここで

読む気力はありませんでしたが、

筆まめだったのは伝わりました(笑)

そして、外を見ると、

現代のいろは丸を発見。

「平成いろは丸」

黒い船体に三本マスト、

なかなか本物に似てますね。

最後にツーショットで散策は完了。

對潮楼では噂に違わない

素晴らしい眺めを満喫出来、

上野彦馬の写真とも再会(笑)し、

大満足のひとときでした。

 

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