龍福寺資料館(山口市)

 

見るのを忘れた

龍福寺で見落とした場所は、

意外と多くありました(汗)

庭とか池とか館の遺構とか・・・

かなり多いかな?

でも、資料館に行けたから

相殺でOKでしょうか(笑)

次回から事前に調べておかないと・・・

龍福寺資料館内へ

本堂向かって左前にあるのが、

龍福寺資料館です。

木造の温かみある外観。

大内義興公「馬上展望」像。

馬の表情が、素晴らしい!!

暴れそうな馬を冷静沈着な手綱さばきで

操る義興公。

人としての器の大きさがよくわかる逸品です。

案内によると、この銅像は、

月形那比古という彫刻家の製作で、

ネットで調べてみると、

岐阜県土岐市に美術館もあり、

かなり著名な巨匠のようです。

出入り口。

ここは無人で、

白い箱に一人200円を入れ、

扉を開けて中に入ると

自動で照明が点くしくみです。

「防犯カメラ録画中」の文字に、

思わず、

「ちゃんとお金を入れる

証拠を撮ってもらわねば!」

キョドってしまうのは何故?(笑)

資料館内。

中は撮影可能のようで、

サイトに掲載されている方も

多くいらっしゃるようなので、

ここでも写真は掲載してみました。

(関係者の方からのご指摘があれば、

即対応はいたします)

大内氏年表。

この最初に書かれたのが、

「西暦611年 百済から

大内氏の祖 琳聖太子が来朝する」

へ~祖先は百済の人だったんだ~。

琳聖太子を中心にした、

大内氏歴代当主の画像。

往時の大内氏館イラスト。

大内義隆卿略伝。

大内氏の領国変遷。

和泉(大阪府南部)

紀伊国(和歌山県)、そして、

義興の時代には、

山科(京都)も領国だったとは、

驚くばかりの大勢力ですね。

大内義隆卿と

毛利元就公・隆元公対面の場面。

案内。

当時の大内氏と毛利氏との関係が

よくわかる場面です。

毛利氏にとって主君とも言えるほどの

大内氏が滅んだ事もあって、

その後、毛利氏が勢力を伸ばし、

中国地方を制圧しています。

右から雪舟、

毛利元就、隆元、輝元の

毛利氏三代の肖像画。

毛利氏の肖像画の上をみると

大内氏の家紋、大内菱の幕が・・・

毛利氏は大内氏が滅んだずっと後、

江戸時代になっても菩提を弔ったり、

大内氏を大切にしていたようですから

肖像画の上に大内菱があるのは、

光栄なことに思っているかも(笑)

 

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