洞春寺(山口市)

 

大内文化を残した毛利氏

勝手な想像ですが、

江戸時代、もし山口を毛利氏でなく

違う大名が統治していたら、

ここまで多くの大内氏が築いた

文化や文化財は

残っていなかった気がします。

元は大内氏の配下(実質)であり

庇護も受けていたであろう

毛利氏だったからこそ、

今の山口には大内文化が

至る所で見られるのかも知れません。

そう考えれば、

関ヶ原の戦いの時、

事前に東軍の徳川家康と取引して、

西軍敗戦後、毛利氏の改易を回避した

吉川広家の功績は大きいですね。

山門

室町時代中期に建立された

国指定重要文化財である

洞春寺(とうしゅんじ)山門に到着。

そこで山門よりも目立つものが・・・

「ヤギ注意」!?

なんでここにヤギが~(笑)

そう思いつつ、まずは山門へ。

案内を要約すると

「洞春寺は毛利氏の菩提寺ですが、

その前、ここには大内盛見が建立した

国清寺があり、この山門は

国清寺創建当時のものと言われている」

このようになります。

表側。

境内(反対側)から。

そして、ヤギへ(笑)

お寺のTwitterを見ると

このヤギの名前はなんと「コロナ」。

お寺では「古呂那大権現」として、

疫病退散の象徴とされ、

地域のアイドル的な存在に

なりつつあるようです。

世の中を明るく導く住職さん、

なんと魅力ある方なんでしょう!

中門へ。

中門から本堂を臨む。

しかし、ここから中には入らず、

中門の右側にある鐘楼門へ向かいます。

鐘楼門

文化財建築物だらけの洞春寺ですが、

ここでも古い建物が、

僕たちを楽しませてくれます。

江戸時代中期に

建てられたとされる鐘楼門。

毛利氏の家紋、

一文字三つ星が見えます。

内側から撮影。

こちら側に梯子(階段)があります。

本堂

鐘楼門をくぐって本堂へ。

江戸時代に再建されたと

言われる本堂に参拝。

観音堂

洞春寺で一番見たかったのが、

室町時代建立の観音堂です。

 

 

本堂向かって左側に見えるのが、

目的の観音堂。

観音堂手前に生い茂っている

ボダイジュ(菩提樹)。

お釈迦様がこの木の下で

悟りを開いたといわれるあのボダイジュです。

「昭和初期、大江氏の菩提寺である

東京の廣園寺のボダイジュを取り木し

この地に植えられた」

案内にはこのように書かれています。

毛利氏の祖先は大江氏ですから

関東の祖先を思う気持ちを

形をされたのでしょう。

観音堂。

「この観音堂は、

永享二年(1430年)

大内持盛を開基とする

滝の観音寺の仏殿として

創建されたものを

大正四年に洞春寺の境内に

移しされたものである」

このように案内されています。

お手水。

中に入って参拝。

 

 

ツーショットには、

やはり観音堂前が最適(笑)

帰りは中門から洞春寺を後にします。

 

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