大内氏館跡・龍福寺(山口市)

 

大内氏最後の当主の菩提寺

戦国時代に滅亡した氏族は

数限りなくあるでしょう・・・

思いつくだけでも尼子氏、大友氏、

長宗我部氏などなど・・・

江戸時代になり藩主は代わっても、

旧主を思う民の気持ちはあったようで、

各地にその痕跡はあります。

ただ、同じく滅亡した大内氏の場合は、

痕跡というよりも

今も国宝などに指定された

文化的財産として、

多く残っているのが、凄いと思います。

その最後の大内家当主、

大内義隆の菩提寺が、

ここ龍福寺で、

大内氏館の跡でもあります。

参道

駐車場は本堂のすぐ横。

参道の起点まで歩き、

そこから参拝をスタートします。

境内へ。

案内には「龍福禅寺」となっています。

参道は木々に覆われて清浄そのもの。

山門

参道の途中、

一段上がったところに山門があります。

山門。

大内氏館の案内。

超訳すれば、

「大内二十四代弘世が1360年頃

ここに館を定め、歴代が政務をとった場所。

三十一代、大内義隆が、

重臣陶晴賢の謀反により滅亡した後、

陶氏を滅ぼした毛利氏によって、

大内義隆の菩提を弔うために

龍福寺を建立。」

このように書かれています。

大内氏が滅亡しその仇を討った事で、

その後の毛利氏は

中国地方全域へ

一気に勢力を広げられたのに

この大内氏への忠義心には

目を見張るものがあると同時に

大内氏を敬うことで、

山口の人心を掌握したいとの

目論見もあったのかと

考えてみたり・・・(笑)

大内菱の家紋(寺門)。

門をくぐると、参道両脇には、

様々な見所があります。

「豊後岩」。

大内館の壮麗な庭に置かれた岩は、

すべて豊後から舟で運ばれたもので、

大内氏が滅亡し、館が荒廃した後、

わずかに残ったのがこの岩です。

宝現霊社。

案内を超訳すると

「大内氏歴代の当主の神霊をまつる祀で、

龍福寺の鎮守としてここに建立されている。

江戸時代には毛利氏により

祭祀がなされていた。

現在の社殿は今から250年余り前の

江戸時代中頃の建築で、

両側に大内氏の家紋

大内菱が付いている。」

このようになります。

毛利氏がずっと「元主君」だった

大内氏を大切にしてきたからこそ

今もなお多くの

大内文化が残ったのでしょう。

徳川家康が大阪城をはじめ、

豊臣氏の痕跡を

ことごとく消したのとは対照的ですね。

天下を治める立場と、

地方の一大名とは全く立場が違うので、

どちらが良いとは言えませんが、

やはり毛利氏は大人だと思います(笑)

鐘楼。

へ~自動で鳴るんだ~!

これが秘密兵器(笑)

なかなかハイテクな龍福寺ですね。

大内義隆卿主従之供養塔。

「宝篋印塔は長門市大寧寺にある

義隆卿のお墓を

原寸大に複製したものです」(案内による)

こちらは大寧寺の大内義隆の墓(左)

宝珠、請花、九輪の一部が

欠損していますが、

複製はこの部分も含め

しっかり再現されていますね。

「十三重の塔は義隆卿に従って

戦死した冷泉隆豊などの忠臣や

公家の諸精霊の供養のため建立」

(案内による)

大内義隆辞世の句碑。

お地蔵様。

本堂の案内。

「明治十四年、龍福寺は火災で

ほぼ全焼し、その後、

大内氏の氏寺であった

興隆寺から釈迦堂を移築し本堂に改造。

この本堂は文明十一年(1479年)の

建立といわれている」(案内を超訳)

檜皮葺の本堂。

左斜横から。

生け垣の向こう側から。

鬼瓦。

地面にも無造作に鬼瓦が。

まさか、お持ち帰り用・・・

そんなはずは無い!(笑)

ツーショットで参拝は完了し、

次に、本堂向かって左にある

龍福寺資料館を見学します。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください