佐賀城本丸歴史館・歴史寸劇
ネット・SNS発信全てOK
「佐賀の八賢人おもてなし隊」
佐賀城本丸歴史館において、
歴史寸劇で来場者を感動させてくれる
素晴らしい方々です。
写真撮影は無論、
ネット・SNS発信も全てOKです。
もちろん「活動を世間に広める」という
主旨もあってのことでしょうが、
僕からすると、
その「おもてなし精神」には、
ホント頭が下がります。
夫婦のかけがえのない思い出を楽しく、
そして気兼ねなくネットに残せるのも
稀有なおもてなし精神の賜物、
今、メンバーの方々に感謝しつつ
このブログを書かせていただいています。
パンフレット
まずは佐賀城本丸歴史館の
パンフレットから。

佐賀藩は外様大名の中で、
八番目の石高だったそうで、
かなりの大藩だったのですね。

「佐賀城本丸歴史館は、天保期の
佐賀城本丸御殿の遺構を保護しながら
復元した施設で、木造建築物としては、
全国最大級の規模を誇ります。」
このように記されていますので、
幕末の名君、
10代藩主鍋島直正公の時代です。
また、規模を誇るまでもなく、
僕たちからすれば、
「佐賀の八賢人おもてなし隊」の
存在自体が「誇る」ものかと
思っています。
観光というもの、
人の心を動かすことで、
良い口コミにも繋がり、
リピートもして貰えるのですから。
以前、誰かが言っていました、
「お客=無償で働く広報チーム」だと。

間取り図など。
ここでの注目は、
「外御書院」(大広間)で、
なんと一千人も収容でき、
そのまま復元されています。
「佐賀の八賢人おもてなし隊」の寸劇も
この大広間の一角を使っての催しです。
佐賀城本丸歴史館へ
天守台と鯱の門を眺めつつ、
至福のランチタイムを終え、
佐賀城でのメインイベント寸劇を見るべく
佐賀城本丸歴史館西門へ。

お邪魔しま〜す!

天守台南東側、

鯱の門(左奥)と、
本丸歴史館に挟まれた通路を表側へ。

佐賀城本丸歴史館に到着。

式台玄関から中へ。

玄関横には大砲の展示もあります。
寸劇
玄関入るとすぐ目に飛び込みのが、
こちらの案内です。

「11月の歴史散歩」
僕たちが訪問したのは11月30日。
11月をフューチャーした
年代問わずの出来事表で、
明治四年(1871)11月4日は、
副島種臣が外務卿に任命された日、
宝暦十年(1761)11月26日は、
鍋島重茂が七代藩主となった日です。

大広間へ。

歴史寸劇のパンフ。

パンフ裏面。
八賢人の「キャラ」紹介が秀逸です。

今日のお題。10分前から始まる
賢人の自己紹介というのが、
見逃せないのですが、
僕たちは遅れてしまい、
冒頭は見損なってしまいました(汗)

左から佐野常民、鍋島直正、大木喬任。
ここからは、
パンフレットからそれぞれの
案内を書き出します。

太鼓を叩く進行役は佐野常民。
「藩校弘道館きっての秀才として
枝吉神陽と並び称せられた。
家業の医者を継いだが、
鍋島直正からさまざまな指令を受けて、
そのすべてを成功に導くなど
実務能力満点。
国産初の蒸気機関車ひな形を完成させ、
日本初の海軍を作り、
パリ万博を大成功させた後、
ついに日本赤十字社を作る。情が深く、
すぐ涙がこぼれる「泣き虫キャラ」。」

主役は、大木喬任(右)で、
殿(鍋島直正)自ら酒を注ぎ、
旅立ちを祝う場面です。
「若い頃は内向的だが、一度キレると
周りが青ざめるほど喧嘩が強い
「静かなる武闘派」と呼ばれた。
佐賀の良い仲間に恵まれ成長し、
後に初代文部卿となり教育制度を確立。
特に子供や女性の学ぶ権利確立に
心血を注いだ「良識人」。
首都を東京に、と提案し、
後に知事にも任命された。
本とお酒があれば他に何もいらない
クールな「地味キャラ」。」
寸劇には、
酒好きが主役だからか、
やはり「お酒」が登場していますね(笑)
鍋島直正が絶賛したというお酒、
「窓乃梅」を知ったのも
この寸劇です。

鍋島直正(右)
「幕末明治屈指の名君主で
佐賀鍋島藩10代藩主。
佐賀藩の血気盛んな志士たちを温かく、
時に厳しく指導して、大人物に成長させた。
藩主になり初めて佐賀に赴く時に、
借金取りがとおせんぼをして
大名行列が止まってしまったという
屈辱をばねに質素倹約、
西洋の新技術の導入、
学問奨励などを推進した
「コツコツキャラ」。」
8年前に見た寸劇で佐賀にのめり込んだ結果、
この日の三人に関わる場所や、物を
直接見てきましたが、
主役の大木喬任さんのみは、
おぼろげながらという程度だったので、
ちょうど良いお題に巡り会えて、
本当に良かったと思います。
これもまたご縁という物でしょう。

最後は、キャスト全員との集合写真で〆。
ちなみに8年前の写真がこちら・・

当時58歳の僕たち、若いですね(笑)
いや〜楽しかった〜!
寸劇ってホント〜に面白い!
(続く)