三条大橋(京都市)三条河原

 

忌み地・弔いの地

今では三条大橋の辺りを

三条河原という名では、

呼んではいないようですが、

ここで散った人々への敬意を込めて

当ブログでは「三条河原」と書きます。

江戸時代までの三条河原と言えば、

処刑場や晒し首の場所で、

釜茹での刑になった石川五右衛門、

秀次事件での妻妾ら39名の処刑、

他所で処刑され、ここで晒し首にされた

関ケ原の敗者、石田三成、

戊辰戦争で会津藩の下に戦った、

新撰組の近藤勇などが

有名どころでしょう。

三条河原は、「忌み地」でもあり、

「弔いの地」でもあると思います。

「功」「罪」というものは、

時代や為政者の心一つによって、

180度違うもの・・・

徳川綱吉の生類憐みの令では、

魚を獲っただけで、

漁師が斬首されていますし、

三条河原で処刑や晒し首になった人も

別の時代に生まれていれば、

大いに称賛された人かも知れません。

そんな人の欲望と殉難とが

うごめく三条河原を

豊臣秀次の菩提寺、

瑞泉寺に参拝する前に

体験してみました。

三条大橋

京阪三条駅から徒歩0分(笑)

そこに三条河原はあります。

駅側から見た鴨川と、

それに架かる三条大橋、

以前の川幅は今よりもずっと広く、

中洲までがあったそうで、

ここがかつて「三条河原」と呼ばれた、

河原のほんの一部になり、

この川の向こう岸に目をやると、

瑞泉寺の建物の一部が見えています。

かつては、

目立っていたでしょうが、

今はビルの谷間。

これも時代の流れでしょう。

鴨川の水流には白鷺の姿が・・

もしや駒姫の魂が

僕たちを歓迎してくれているのか?

白鷺がメスであることを

切に願います(笑)

三条大橋から見た南側の風景。

かつての鴨川東岸(向かって左)には、

鳥辺野と言う葬送の地があった

(今でもお墓だらですが)事も

ここが処刑場所に

なった理由かも知れません(推測)

擬宝珠の一つを見ると

昭和25年の

橋脚再建の経緯が詳しく刻まれています。

そして、西側詰の擬宝珠には、

こんな刀傷があります。

明らかに古い擬宝珠で、

傷の状態もよくわかりますね。

刀傷アップ!

案内には次のように記されています。

「三条大橋 擬宝珠刀傷跡」

「これは池田屋騒動のときに

つけられた傷ではないかと言われ、

現在でもはっきり見て取れる刀傷です。」

池田屋騒動は、

元治元年、京都守護職配下の新選組が、

尊王攘夷派(討幕派)を襲撃した事件で、

もしかしたらこの傷は、

近藤勇、沖田総司、土方歳三ら

有名人のものかも知れませんね!

ロマン溢れる刀傷です(笑)

東海道中膝栗毛の

弥次さん喜多さん像。

作者、十返舎一九の地元、

駿府城にも建てられていましたが、

旅を安全に楽しむと言う意味で、

ご利益があるのかな?(笑)

三条河原

そして、河原へ。

美しく整備され、

処刑場の雰囲気は全く感じられません・・

それらしき「案内板」も皆無。

そして、

まるで「忌み地」であること、

過去の歴史を封印するかの如く

こんな石碑があります・・

「位置案内」

全く処刑場とは無関係な、

鴨川にかかる橋を表したものです。

これはこれで、

大いに参考になりますが、

ただの旅人としては、

弔いの発露としての慰霊碑とかがあれば

などと思ってしまいます・・・

(何処かにあったかも知れないが)

最後に三条大橋近くで頭を下げて、

瑞泉寺へと向かいます。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.