山梔窩(さんしか)(福岡県筑後市)

 

正しい読み方は?

水天宮の境内にあった復元建物は、

山梔窩と書いて「くちなしのや」、

そして、ここの「実物」では、

山梔窩と書いて「さんしか」と

ふりがなが打ってあります。

いったいどっちの読み方が、

正しいのでしょうか?

迷ってしまいますね(汗)

とりあえず、ここでは「さんしか」で

行きます(笑)

しかし、文章ならば漢字だけですから

読み方は、どっちでもOKかな?

真木和泉守謹慎の地

Wikipediaによると、

「藩政改革の建白を

久留米藩主であった

有馬慶頼(後の頼咸)に上らせたが、

却って罪を得て久留米より離れた

下妻郡水田村の大鳥居理兵衛のもとに

蟄居を命じられた。

理兵衛は真木の弟で

水田天満宮へ養子に出ていた。」

このように書かれています。

その理兵衛の家の一角に建てた

蟄居場所が、「山梔窩」という家です。

意見具申さえも命がけの江戸時代、

弟の家での謹慎で済んだのは、

幸運だったかも?

駐車場に建てられた、

「延寿王院跡」の案内。

太宰府天満宮安楽寺領水田などを

支配した大鳥居家の屋敷跡です。

拡大写真。

広大な大鳥居氏屋敷の端に

山梔窩は建てられたようです。

ピンクの横断幕を見ると、

近くの水田天満宮の境内社である

恋の神様、恋木神社を思い出します(笑)

水田周辺の文化財。

山梔窩

目の前の駐車場から

徒歩20歩(笑)

山梔窩に到着です。

山梔窩の看板。

まずは、山梔窩歴史交流館へ入館。

館内で入場料50円を支払い、

引き戸の向こうに見える山梔窩へ。

今どき、50円で入場出来る施設なんて、

有り難いと同時に、正直、驚きました。

まるで、昭和50年代ですよ(笑)

正面。

藁葺き屋根が素晴らしい!

謹慎場所とは思えない、

少し大げさに言えば、

江戸時代の別荘にも見えます(笑)

右側面。

斜め裏側から。

裏から庭の全景。

素晴らしく整備された、山梔窩に感動。

「真木和泉守謫居之處」の石碑。

「謫居」は初めて見た言葉で、

「謫」って何だろうと調べてみると

「謫」の音読みは「たく」「ちゃく」

訓読みは「せ(める)」

せめる、とがめる、罪という意味でした。

世の中知らない漢字ばかりだ~(笑)

その後、山梔窩の写真を撮っていた時、

地面に黒い影が通り過ぎるを発見。

空を見上げると、こんな光景が。

何と、山梔窩の上空をサギちゃんが、

飛んでいるではないですか!

妻のおばあちゃんの化身と信じている

サギちゃんが来てくれるなんて、

嬉しい限りです。

そして、家に帰って写真を確認すると、

この直前撮った写真にも

同じサギちゃんが写り込んでいました。

この偶然が何だか、

見守られている感いっぱいに

させてくれますね。

ここでツーショット。

この後山梔窩内部へ。

玄関。

踊り場。

四畳半の部屋。

実は、入場料を払った後、

交流館のスタッフに

すぐ内部に案内されて、

ビデオを鑑賞させてもらいました。

事前に映像で予備知識が入ると、

建物を見る楽しみも増えますね。

床の間。

掛け軸は、真木和泉守保臣

自筆の水墨画(複製)。

弟子たちのご位牌だったか、

忘れてしまいました(汗)

スタッフの女性が親切に

説明してくれたのに・・・。

天辺が全て角錐(ピラミッド型)なのは、

神道で祀られている事を表していて、

神道式の墓石と同じですね。

壁の造りも立派。

昼寝でもして(笑)

寛げそうな空間です。

三畳の間。

山梔窩歴史交流館「くちなし庵」

山梔窩の建物を堪能した後は、

歴史交流館「くちなし庵」へ。

歴史交流館の裏側。

生い立ちからのパネル。

一番左に書かれている、

山梔窩塾の講義内容が

凄いのです。

「学問をはじめ、作詞、習字、

相撲、弓道、剣道などを教えました」

文武両道の真木和泉守ならではですね。

山梔窩規定。

感銘を受けたのは、

娘、小棹(おさお)への手紙です。

現代文に訳したものは、

次のように書かれています。

「さて人は男女の差別なく、

何よりも心の持ち方が大切なことです。

いかに和歌をきれいに作り、

習字が上手でも、

着物の縫い方が素晴らしくても、

心や行いが乱れていたら、

人とは言われないし鳥や獣と同じです。

心の持ち方が非常に優れているならば、

たとえ不器用でも

立派な人なのですよ。」(以下略)

何とも素晴らしい手紙ではないですか!

今日の感動

くちなし庵の右端の一角にあるトイレ。

手入れの行き届いた最新式トイレに

僕も妻も感動で、

観光地=汚いトイレ。

こんな図式を覆すに有り余ります。

山梔窩に行かれる方には、

是非、くちなし庵の素晴らしいトイレも

旅の思い出の一つとして

体験して欲しいものですね(笑)

 

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Comment

  1. 渕上 より:

    初めまして。福岡県筑後市水田出身で久留米市在住の渕上と申します。山梔窩の検索結果からこちらに来ました。ご夫婦仲良く史跡等旅されておられて大変羨ましく思います。
    さて,私もふとしたことから渕上一族の先祖を辿っておりまして、先日は久留米水天宮や山梔窩に行きました。(近くに住んでましたが中にはなかったことはなく)どなたかがWikipedia に山梔窩を立項されていましたが3行程度しかなく(笑),この一週間で編集更新しております。宜しければご覧ください。
    私の実家横が渕上一族の墓所であり,実家前は参道で渕上兄弟という明治維新の志士やそのご家族が眠っておられます。先月は渕上兄弟の兄郁太郎が暗殺されたみやま市の碑ヘ,今月は弟謙三が自刃した太宰府小野加賀邸に出向き供養した次第です。
    まだまだ供養は続きますが,そのうち京都天王山や寺田屋池田屋など,何処かでお会い出来るかもです。
    一方的になりましたが,今後も更新楽しみにしております。

    • tabibito1722 より:

      渕上様

      はじめまして、山本と申します。
      ブログをお読みいただき、
      本当にありがとうございます!
      一族の先祖を辿る旅とは、
      素晴らしい事をされていますね。
      山梔窩のWikipedia拝見しました。
      詳しくて、素晴らしい内容ですね!
      やはり現地で調べたり、
      体験されたからこそだと
      敬服しております。
      いつか、
      旅先で私達を見かけられたら
      是非、お声がけくださいね(笑)

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