青岸渡寺(2019年夏旅)
破却を逃れた幸運なお寺
Wikipediaには、
「明治時代に神仏習合が廃されたとき、
熊野三山の他の2つ、
熊野本宮大社、熊野速玉大社では
仏堂は全て廃されたが、
熊野那智大社では如意輪堂が
破却を免れ、のちに信者の手で
青岸渡寺として復興した。
寺号は秀吉が大政所の菩提を
弔うために建てた高野山の
青巌寺に由来すると言われる」
このように書かれています。
明治初期、
廃寺の危機に直面したであろう
如意輪堂を存続させる相当な
運動や嘆願などが、
この地域であったのかも知れません。
そう考えると、
もしも神仏分離が無かったら
全国には今にくらべ
格段に多くの建築物文化財が
残っていたはずです。
しかし、当時の政治家が
「その時のベスト」と思って行った
施策ですから
後世の知識を持って見る
僕らが批判出来るものでは
ありませんね。
青岸渡寺へ
熊野那智大社の裏門を出ると
そこはもう青岸渡寺境内です。
江戸時代までは同じ敷地として
存在していたのですから
当たり前といえばそれまでですが(笑)
まずはお手水。
延命の水と名付けられた清浄水は、
那智大滝を水源とする
ありがた〜い水、
これで寿命が1時間延びました(笑)
本堂正面。
天正十八年(1590年)の建立で、
豊臣秀吉が小田原征伐で
北条氏に勝利し、
全国統一を果たした年でもあります。
右斜めから。
本堂右横から。
本堂前の世界遺産石碑と並ぶ
長久丸船主、大門長一の碑。
青岸渡寺境内俯瞰図と案内。
色々あったのに
よくぞここまで残ったものです。
本堂内へ。
参拝前に、線香をあげます。
那智山の扁額。
本堂入って目を引くのは、
巨大な鰐口です。
こんなに大きな鰐口は、
かつて、見たことがありません!
僕たちが鰐口に見入っていると
お寺の方が声をかけてくれ、
「その大きな鰐口は、日本一の大きさで、
天正18年(1590年)豊臣秀吉の
奉納ですよ」
そう教えてくれたのです。
そして、
「鰐口に刻んである文字の写拓本が
あるので写真撮って行ってください」
と指差してくれたのが、こちらです。
こらは、売り物では?
売り物の写拓本のサンプルを
写真撮るなんて、
ちょっと悪いなと思ったのか、
ブレてしまいました(笑)
めっちゃ親切なお寺の方に、
感謝です!
仏様を拝むよりも、
鰐口を拝んでしまった顔の二人(笑)
那智の滝展望所。
三重塔と那智の滝。
絵になりますね。
文化財等建造物の案内。
国指定重要文化財の
宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
元亨二年(1322年)
鎌倉時代末期の造立。
こちらも鎌倉時代の梵鐘。
花山上皇の西国三十三ヶ所巡りの図。
大黒堂
案内に紹介されている
大黒堂へと向かいます。
那智山七福神大黒堂。
七福神の名前。
本堂へ。
神社的な朱赤です。
中はもっと赤でした(笑)
参拝。
大黒堂の前も熊野古道の一部。
三重塔
那智の滝といえば、
この三重塔はセットみたいなもの(笑)
塔は、青岸渡寺の本堂から少し下った
那智の滝に向かう途中に建っています。
三重塔と那智の滝。
展望施設でもあるので、
登ってみます。
拝観料300円。
僕たち以外に誰も入ってこないので、
三重塔を独占できました(笑)
最上階から見た那智の滝。
ズームだと更に迫力が増しますね!
最上階はこのように細かい網が張ってあり
記念写真を撮るには難しい場所ですが、
階下に、「記念撮影所」が、
わざわざ準備されているのです。
ここから外へ出ます。
「記念撮影所」にて、
那智の滝とともに。
一番の思い出
青岸渡寺の参拝で、
一番の思い出は・・・
やっぱり豊臣秀吉が奉納した
鰐口かな(笑)