専称寺(山形市)本堂

 

駒姫の菩提を弔う寺

専称寺が位置するのは、

多くの寺院が立ち並ぶ

「寺町」の一角に位置し、

その中でもひときわ大きな本堂を持つのが、

この専称寺です。

初代山形藩主となった最上義光が、

非業の最後を遂げた娘の菩提を弔うために

創建されたお寺で、

僕たちは先に駒姫のお墓へお参りしました。

本尊よりもお墓・・・

ここでは、

どうしてもそうなります・・・ね。

山門

お墓を参った後、

一旦外に出て、

山門から参拝スタートです。

正面。

山門横の案内。

これを要約すると、

「専称寺と駒姫」

「最上義光が、秀次事件で処刑された

駒姫の霊を慰めるため創建した寺院で、

京都三条の瑞泉寺には駒姫の墓があり

辞世の歌

「罪をきる弥陀の剣にかかる身の

なにか五つのさわりあるべき」は、

国立京都博物館に遺されてある。」

「専称寺本堂は、元禄十六年(1703)

の改築に成り、雨落十八間四面、

江戸中期木造建造物としては東北第一

本堂四隅には力士の像があり

左甚五郎作と伝う。」

このようになります。

瑞泉寺のサイトによると、

駒姫他多くの人が処刑された場所に

その慰霊の為に建てられたお寺で、

高野山で切腹した豊臣秀次公や

処刑された子女の方々の

お墓もあるようです。

やはり、行くしかないかな?(笑)

山門から境内へ。

蟇股に彫られた力士像。

参道。

イチョウの木

まずは、

山門の外から見えていた御神木へ。

樹齢は300〜400年でしょうか?

大きさの比較に妻登場。

梵鐘・鐘楼

次に参道左側の梵鐘と鐘楼へ。

「専称寺の梵鐘ならびに鐘楼」

案内を抜粋すると以下になります。

「この梵鐘は、慶長十一年(1606)に

製作されたものですが、

池の間に次の陽刻銘があります。

「羽州最上山形

慶長十一年丙午六月吉日

三條住人天下一道仁准之」

この作者道仁は、

西村姓で豊臣秀吉から

天下一の称号を授けられた名工でした。」

「三條」が京都の三条の事だとすれば、

梵鐘は京都で制作され、

山形に運ばれたのかな?

鐘楼も同時期の建立だと

書かれています。

梵鐘。

義光公駒繋の桜

梵鐘の隣には、

桜の木が植えられています。

「義光公駒繋(こまつなぎ)の桜」の碑。

ネットで調べると、

「駒繁」という桜の品種があるようで、

ここでは駒姫を偲ぶ桜として

植えられたのかも知れません。

手水舎

ここは、建物ではなく、

樹木が手水舎の役割を果たしています。

何だかいい雰囲気ですね!

手水鉢。

本堂

参道周辺の散策後、

本堂へと向かいます。

ここからだとその規模は

あまり分かりませんが、

少し行くと・・

巨大だ〜!

山門横の案内には「雨落十八間四面」と

書かれていましたから、

約33m四方の規模です。

参拝。

こちらは本堂左側面です。

車を大きさの比較に撮影しましたが、

かなり手前に駐車しているので、

巨大さが全く伝わっていませんね(汗)

巨大さに驚いた二人(笑)

今日のナンバープレート

本堂横に停まっていた車の

ナンバープレートが、

「これぞ山形!」

というものでした。

サクランボ!

やっぱ、山形と言えばサクランボ、

全国のシェア80%を誇る

佐藤錦でしょう!(笑)

 

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