専称寺(山形市)駒姫の墓
父の出世の礎
駒姫は、
最上義光(よしあき)の娘で、
文禄四年(1595)、
豊臣秀次の側室になる直前、
「秀次事件」において、
秀次の妻や側室、その子供らが
豊臣秀吉により
皆殺しにされた中の一人として、
十五歳で処刑され、
駒姫の生母はショックから、
駒姫の死から程なくして、
亡くなったと言われます。
そして、
父である最上義光の秀吉への
底知れない怒りと憎しみは、
徳川家康への接近と従属へと向かい、
関ケ原の戦い後、
山形藩五十七万石の
初代藩主という結果をもたらしたのです。
駒姫の死があればこその
栄光だったとは言い過ぎでしょうが、
駒姫は父の出世の礎となったと
言えるかも知れません。
専称寺にて
お父さんの最上義光の墓を参拝後、
駒姫の墓がある専称寺へと向かったのですが、
Google先生のご機嫌が悪く(笑)
「妻の助言と自力」で
専称寺の駐車場を発見し
なんとか無事到着。
駐車場近く、裏側の山門から境内へ。
本堂側面を通り、正面へ。
「観光目的でお越しの皆様へ」
内容は、厳しくも
すごく真っ当なこと書かれていて、
その横には、
駒姫の墓への懇切丁寧な地図が
表示されています。
「山形市観光物産課」が
設置したもので、
観光客への優しさが
ダイレクトに伝わる
素晴らしい掲示板ですね!
しかも、その親切さは、
これだけではありません。
このような案内が随所にあり、
とにかく「観光目的」の人が、
絶対に迷わずに駒姫と出会える
道筋ができているのです!
ここにも(笑)
墓地の一番奥へ。
駒姫の墓・黒髪塚
迷うことなくお墓近くに到着。
お墓の近くの説明板を
書き出してみます。
「小さな石の大きな物語
伝承「黒髪塚」
【いわれ】
黒髪塚は、
駒姫の遺髪を収めた塚に供養石を置き、
密かに供養され続けてきたという
伝承の石です。
昭和五十五年、
専称寺奥の院の黒髪塚の跡に
五輪供養塔が建立され、
塚は現在の場所に移されました。
駒姫が秀次事件(文禄四年・1595)に
巻き込まれ
非業の最後を遂げると、
その遺髪は侍女達によって
最上家に届けられ、
その後も多くの人々によって
密かに四百年以上も
供養されてきたと伝えられています。
現在も九月二日を「駒姫忌」として
大切に供養され、
駒姫の物語は最上家の光と影の源流として
語り継がれています。」
これは、
山形中央ライオンズクラブが、
令和三年に寄贈された案内ですが、
「山形市観光物産課」の案内板とともに
観光客にとって
大変、ありがたいものとなっています。
最後の道案内。
ここまで親切にして頂けるなんて、
山形県のイメージは、
さらにアゲアゲですよ(笑)
お墓に到着。
参拝。
お姫様に相応しく、
可愛らしい生花も飾られ、
大切にされていることが分かります。
次にお墓のすぐ後ろ、黒髪塚へ。
「黒髪塚」
駒姫さん、
心静かにお眠りください・・・
今日の雨粒
駒姫の墓の手前には、
柑橘系の木が茂り、
青い実をつけていました。
雨粒がついた緑色の葉っぱ、
そして、
この光景の先に見える五輪塔・・・
参拝前、
なんだか心が浄化されたようで、
心に残る風景となっています。