柴田神社・北庄城跡(中編)

 

贅沢過ぎる?

北庄城跡に鎮座している柴田神社。

多くはないものの、

境内にはお城の堀跡や石垣などが残され

往時の面影が偲ばれます。

よって、

同時に神社とお城の両方が

楽しめるという贅沢過ぎる

観光地とも言えそうです(笑)

北庄城石垣

お市さんの銅像に挨拶し、

御社殿前の案内へ。

案内には、

朝倉氏滅亡後、越前支配の拠点が、

一乗谷から北庄・福井に移り、

北庄城築城には、

近くの足羽山あすわやまから産出される

笏谷石しゃくだにいしが石垣や瓦に使われたと

書かれています。

拝殿横の特別な囲い。

案内。

この辺りと南側で、

石垣の石が見つかっていて、

石垣自体は結城秀康の

福井城築城に流用され

ほぼ残っていないが、

ここに石の一部を保存してあると

書かれています。

柴田さん時代の石垣の名残。

野面積みだったことが分かりますね。

三姉妹の像

拝殿に行く前には、

銅像があります。

「三姉妹」像。

左側に見えるのはお市の方像、

右後方横向きなのは柴田勝家像です。

案内。

銅像全てをアップ。

それぞれの運命が待っている三姉妹、

北庄城が落城した時は生きるだけで

精一杯だったのでしょう・・

想像ですが、お市の方は、

織田家を乗っ取ってしまう秀吉に

対抗するため、老臣の柴田勝家を

頼ったのかも知れません・・・

それは、

三女の江姫が後の二代将軍になった

徳川秀忠の正室となり、

三代将軍、家光さんを産み、

そして、

大阪の陣で豊臣家が滅んだ事で、

ある意味、

心願成就となっています。

お市の方、

悲劇のヒロインではありますが、

「死して名を残す」代表格の人でもありますね。

三姉妹の話がいつの間にか

お市の方の話になっています(笑)

柴田勝家像

次に柴田さんの銅像へ。

石段を登って真横からご挨拶(笑)

正面。

織田家伝来の長槍を持っていますね!

ちなみに織田家の長槍はこちらです・・

以前、安土城考古博物館で見た

織田家の長槍(左端)で、

長さは約4.5m位かな?

勝家さん胸元アップ。

斜め横から。

まさに「威風堂々」ですね!

後ろ姿。

この季節、足羽山の桜を

愛でられているのかな?(笑)

勝家さんの家紋、

「丸に二つかりがね」。

御社殿

銅像三昧のあとは神社の参拝へ。

明治二十三年建立、

柴田神社の由来が書かれた石碑。

漢文なので、読む気力無し(汗)

慰霊碑に参拝。

拝殿。

「瓶割り柴田」の絵馬。

勝家の逸話の一つ、

籠城戦で水が尽きた時、

最後の水を家臣に飲ませ、

水の入った瓶を割って、

文字通り「背水の陣」で打って出て、

包囲している敵、六角氏を

全滅させた話が由来のようです。

参拝。

各所に付けられた小さな鈴の音に

心癒されます・・

本殿(右側から)

本殿(左側から)

境内社の「三姉妹神社」に参拝。

(続く)

 

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