2024/07/09

柴田神社・北庄城跡(後編)

 

もしも

もしも本能寺の変がなければ、

柴田勝家の行く末は、

どうなったでしょうか・・。

織田家の重臣として、

天下統一まで、

活躍していたかも知れません。

一本気で無骨なイメージはあるものの、

信長からの絶大な信頼があればこそ

統治の難しかった北陸方面を

任されたはずですから。

ただ、

僕たちもこの日、ここに

訪問することは無かったはずです(笑)

城跡散策

北庄城跡地は神社も含め、

公園として美しく整備されています。

公園正面入口。

遺構などの案内もあります。

北庄城想像図。

案内を抜粋すると

以下になります。

「織田信長は、一向一揆を壊滅させた直後の

天正3年(1675)8月に

越前49万石を柴田勝家に与えた。

勝家は足羽川と吉野川との

合流点に北ノ庄城を構築した。

現在の柴田神社付近が本丸と伝えられる。

ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、

本国宛の書簡の中に

城および他の家の屋根が

ことごとく立派な石で葺いてあって、

その色により一層城の美貌を増した

というように書いている。

秀吉も戦況を小早川隆景に報じだ際、

「城中に石蔵を高く築き、

天守を九重に上げ候・・」

と記している。」

柴田勝家は今日の福井市の

基礎を築いた人である。」

秀吉の書いた「九重」は、

誇張されている気がしますが、

笏谷石をふんだんに使った

相当に立派な城であったのは、

間違い無いでしょう。

柴田勝家と女性たち。

遺構へ。

北ノ庄城堀跡。

露出展示された石列。

堀跡。

日向門跡。

案内。

日向門跡と拝殿と柴田勝家像。

勝家さん、

公園全体を睨み付け・・

いえ、

優しく見守ってくださっています。

公園の名前碑。

碑文を書かれた平山郁夫画伯は、

柴田勝家公の末裔で、

たびたび福井を訪問していたそうです。

ここで拝殿と日向門跡バックに

ツーショット完了。

九十九橋

柴田公園入口左側には、

かなり立派な石橋が

安置されています。

そう、

架けられているのではなく、

置かれているのです。


柴田さんの家紋

「丸にふたつかりがね』が入った

燈籠と石橋。

たまたまですが、

右後方の空に

鳥が二羽飛んでいるのが

映り込んでいますね!

これって、柴田勝家さんが、

歓迎してくださったのかも!!

何でも前向きに捉えるのが、

僕たちの特技です(笑)

案内。

「九十九橋の由来」

内容を抜粋すると

以下になります。

「九十九橋は、北陸道と

足羽川が交わる地に架けられた橋です。

九十九橋の記録は朝倉時代にもありますが、

柴田勝家公が半石半木の橋としたと

伝えられています。」

半分が石、半分が木というのは、

合理性を追求した結果だったのかな?

その石橋部分が保存されて

ここに移設されているというわけです。

石材は笏谷石でしょうかね?

大きさ比較のため妻登場。

ここまでで柴田神社、

北庄城跡の散策は完了です。

東横インへ

起点の東横インへの帰路、

いくつか面白いものを発見しました。

石畳の一つ、

「お市の水鏡」。

なんか美しいお姫様を連想します(笑)

「福井マニアックルーズ」のポスター。

東尋坊でのサスペンスごっこ、

僕もやってみたいな(笑)

こちらもなかなか秀逸です!

普通のポスター(笑)

前日訪問した越前大野城

今年は新幹線の開業に合わせ、

3月16日の城開きだったようです。

(例年は4月1日)

ここからは恐竜さんの先に

東横インが見えています。

東横イン横の交番。

まるで美容室みたいに

オシャレですな〜!!

到着。

早朝の柴田神社・北庄城跡散策は、

ここまでで完了です。

 

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