指月殿(静岡県伊豆市)
幽閉の地、修善寺
「修善寺」は、
現在は、修善寺温泉として、
有数の観光スポットですが、
鎌倉時代においては、
「修善寺に幽閉」というフレーズを
よく目にします(笑)
当時は陸の孤島的な
場所だったのかも知れませんね。
源頼家の墓・指月殿へ
源範頼の墓にお参りし、
次に桂川を挟んだ対岸にある
源頼家の墓を目指します。
滝下橋(安らぎ橋)
案内によると、
桂川にかかる五つの橋其々に
恋にまつわるご利益があると言われ
この滝下橋を渡ると
「夫婦円満」になるそうです。
ご利益は・・・
あった?かな(笑)
向こう岸の橋のたもとで見つけた
お地蔵様に参拝。
夫婦円満のご利益を司るのは、
橋に背を向けて、
ちょっとツンデレしている
このお地蔵さんかもですね!
お地蔵様の背後の山には、
源範頼の墓と、
それを守るようにそびえる
大きな木が見えています。
裏道っぽいけど、
何となく風情のある道。
指月殿、源頼家の墓の案内。
実はここ、
横参道で、本参道は少し先です。
本参道の入口。
石段の先に指月殿が見えてきました。
まずは手水舎へ。
そして、この手水鉢が、
また素敵なんですよ~!
小さな石から
水がぷくぷく湧き出る光景に
めっちゃ癒やされました。
「指月殿」。
案内を書き出すと以下になります。
「この地で非業の死を遂げた
鎌倉幕府二代将軍頼家の冥福を祈り、
母北条政子が建立したもので、
伊豆最古の木造建築といわれている。
指月とは経典を意味し、
禅家が愛用している
不立文字を解く言葉である。
建立の際、政子が寄進した宋版大蔵経は、
大半が散失し僅か八巻しか残っていない。
そのうち
「放光般若波羅蜜多経」の第23巻が、
静岡県指定文化財となっている。
本尊の釈迦如来坐像は、
寄木造りで高さは203センチ、
持ち物のないはずの釈迦像が
右手に蓮の花を持っているのが特徴である。
「指月殿」の扁額の実物は、
宋の名僧一山一寧の書といわれ、
修善寺本堂に保存されている。」
源頼家の墓は、
この本堂の左手裏側なのですが、
まずは、指月殿に参拝。
先程の案内に書かれていた
一山一寧が書いた扁額のレプリカ。
実はこの一山一寧さんも
「修善寺に幽閉」組(笑)の一人で、
幽閉されていた時に、
この扁額を書いたそうなんですね!
Wikipediaを要約すると、
「一山一寧は元の使者として
日本に従属を促すためにやってきた。
本来なら斬首されるところを
高僧であったが故に、
死を免じられ修善寺に幽閉。
釈放後、彼の名望が高まり、
執権北条貞時も建長寺の住職に迎え
自らも帰依、その後、
円覚寺、浄智寺の住職を経て
上洛して南禅寺3世となった。」
このようになります。
こんな凄い人ならば、
もっとフューチャーされても
良い気がします(笑)
本堂の前に置かれた石の扁額。
鎌倉時代作、
釈迦如来坐像に参拝。
北条政子さんも
この坐像を拝んだのでしょうか・・・
お伺い石
指月殿裏、源頼家の墓への
エントランスには、
釈迦如来坐像に関連する
「イベント」があります。
釈迦如来様が手に持つ
蓮のつぼみをかたどった「お伺い石」。
案内を抜粋すると以下になります。
「ある時、釈迦は弟子たちの前で
一輪の花を拈って示しましたが、
摩訶迦葉だけがその意味を悟り微笑み、
釈迦から以心伝心の法脈を伝授されました。
この「拈華微笑」の故事に基づき、
指月殿の釈迦像は蓮のつぼみをかざす
大変珍しいお姿で鎮座しておられます。
ここにある蓮花の形をした石は
以心伝心を占う「お伺い石」。
想いを込めて持ち上げましょう。
軽く感じたら
思いが伝わると言われています。
もし重く感じてしまったら
指月殿に祈願しましょう。
あなたの願いをかなえてくれるでしょう。」
これを読んで初めて釈迦如来さんが、
蓮の花(つぼみ)を持っている
意味が理解出来ました・・・
僕には以心伝心は無理かな?(笑)